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2014-07-02 [休暇中]

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最初の旅 [旅]

私の記憶に残っている人生最初の”旅”は、こどもの国だ。横浜の青葉区にある遊園地(?)。多摩丘陵に広がる広大な敷地に牧場などの施設がある広場だ。私が子供の頃、まだ横浜市には青葉区がなかった。”旅”と言うにはちょっとショボイ場所だったが。。。私の記憶では幼稚園の遠足だと思っていたのだが、先日、母と話していたら、絵画教室の生徒とそのお母さん達で遊びに行ったということがわかった。しかも、大きなバスに乗って大人数で行ったと思っていたのだが、私の父親が運転する小さなマイクロバスで行ったそうだ。ずいぶん昔の話だし、私はまだ幼稚園に入る前だったが意外と覚えているものだ。丘の途中に座って、ゆで卵を坂の下に向かって転がして遊んでいたことや、一緒に行った母の親代わりだった人のお弁当を食べさせてもらったことなどは断片的に覚えている。その時、お弁当に入っていた冷めた、そして、とても甘い炒り卵が本当に美味しかった。今はあまり食べなくなってしまったが、お弁当に入っている冷めた炒り卵は私の好物の一つだ。炒り卵は冷めていて、そして、とてつもなく甘くなければいけないのである。写真に写っている私は屈託なく笑っていて、とても楽しそうだ。父と母も嬉しそうだ。あやふやな記憶とモノクロ写真の中の父と母は若かったし私も幼かった。月日はあっというまに経ってしまう。父と母の結婚記念日に台湾旅行をプレゼントしたのが7年前。両親と私で香港に行こうとチケットを取ったのだが、父親の病気が見つかり、やむなくキャンセルしたのが5年前。そして、早いもので今月は父親の一周忌だ。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

タグ:こどもの国
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世界の車窓から [ベトナム]

海外の超長距離鉄道の旅に憧れていたことがあった。「オリエント急行殺人事件」と大瀧詠一の「さらばシベリア鉄道」の影響に違いない(w。オリエント急行は比較的最近まで走っていたが、パリからイスタンブールまでの列車だけで100万円近い費用と1週間の日数がかかるのでサラリーマンの身では難しい、というより限りなく不可能に近い。イースタン&オリエンタル・エクスプレスというシンガポールからバンコクまでの列車があることを聞きつけ、調べたことがあったが、シンガポールからバンコクまで4日間で25万円くらい。飛行機代やその他諸経費を入れると、40万円。ちょっと高いなーと思い、海外の長距離鉄道の旅はお金がかかるということで諦めた。しかし、探してみるとホテルとセットになったそれほど高価ではない列車の旅があることもわかった。ベトナムのハノイから400kmくらい北にある、ヴィクトリア・サパ・ホテルというリゾートホテルが列車の乗車券とホテルの宿泊をセットにして販売していた。もともとはフランス人が避暑のために開発した別荘地帯で、2,000m近い高地にあった。ハノイから専用の列車に乗って約10時間、翌朝に現地に到着すると言うお手軽さに惹かれて行ってみることにした。ハノイの駅を夜出発するので、指定された時間にハノイ駅に行った。駅の中でキョロキョロているとヴィクトリア・サパ・ホテルの専用列車の看板を見つけた。看板のあるところに行って、係員に自分の名前を告げるとチケットを渡された。チケットは意外とあっさり入手できた。そして、乗り込む列車を教えてもらい、列車のところに行くと、赤い絨毯がひかれていたので、ちょっとビックリした。うーん、なんとも優雅な感じがする。これが期待していた列車の旅だ。案内されたコンパートメントには、すでに2つの2段ベッドがセットされていて先客がいた。先客はオランダからやってきたというご夫婦で、これから10時間同室だ。ヴィクトリア・サパ・ホテルには毎年行っているというこのご夫婦からいろいろな情報を聞くことができた。そして、出発。なんともあっさり出発した。オランダ人のご夫婦から、この列車には食堂車が付いていることを聞いたので行ってみることにした。最後尾の食堂車に入ると遅い時間だったこともあってか、みんな優雅にワインを飲んでいた。やはり、思った通りだ。列車の旅は優雅だ。食堂車に足を踏み入れてしまった以上、そのまま戻る訳にもいかず、飲めない私もワインを1杯だけ飲んで自分のコンパートメントに戻った。同室のご夫婦と少しお喋りをしたあと、寝ることにした。なんだか、優雅だなー。”みんなお休みなさい”と言ってベッドに入った。明日の朝目覚めれば優雅なリゾートライフが待っていると思うと自然と笑みがこぼれた。しかし、、、優雅な列車の旅というものは、まったく振動もせず、まったく音などしないものだと勝手に想像していたが、列車はもの凄く揺れるのだ。その上、列車の音がガタンガタンうるさい。しかも、最悪だったのは、同室のご夫婦の旦那さんのイビキが凄まじい音だった。イビキなどという生易しいものではなく、怪獣が泣いているような音だった。一瞬、怪獣の鳴き声が止むのだが、しばらくすると、怪獣が泣きだす。奥さんよく平気で寝てるなー。結局、振動と列車の轟音、そして怪獣の鳴き声で一睡もできなかった。終点のラオカイの駅に着いた時はもうフラフラ。全然、優雅じゃないぞ。ホテルはとても良かったし、サパのリゾートも良かった。しかし、海外の長距離列車の旅は、もういいや。。。
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空の運動会 [アメリカ]

もう、随分と昔のことだが、ラスベガスに行った。サンノゼでラスベガス行きの飛行機に乗り継いだのだが、何かトラブルがあったようで飛行機はガラガラ。乗客は私の他に年配のアメリカ人夫婦と子供連れの4家族だけ。子供連れの家族はアメリカ人の家族とイギリス人の家族だった、、、はず。そんなガラガラな状態なのに、シート配列は2-3-2で通路が2つあったので、比較的大型の飛行機だった、、、はず。なんせ、ずいぶん昔のことなので、記憶が薄れてしまい、全部”はず”(w。座席は替わり放題、座り放題。家族連れの子供たちは、子供同士でキャッキャッ言いながら遊んでいた。当時はセキュリティがゆるゆるだったので、パーサーが来て、子供たちに操縦席を見せてあげると言うと子供たちは、はしゃいで大騒ぎだった。そのパーサーに私にも見せて欲しいと言うと、「どうぞどうぞ」と案内してくれた。操縦席のドアを開けるとキャプテンとコーパイがこちらを振り返り、笑顔で「Welcome!」。子供やその両親たちはとても興奮していたが、それ以上に私が大興奮だった。我々はキャプテンとコーパイの帽子をかぶらせてもらい、私はダメだったが子供たちは操縦席に座らせてもらったりして狭い操縦席は賑やかだった。そして、座席に戻っても興奮冷めやらない子供たちは、両親に今見た光景を早口で捲し立てていた。すると、さっきのパーサーが来て、子供たちを集めて何やら話をすると、子供たちがまたまた大声で騒ぎだした。そして、パーサーが私のところにもやって来て、「今から、通路で駆けっこをするので一緒にどうだい?」と声を掛けた。あまり乗り気はしなかったのだが、操縦席を見せてくれたこともあり、この「レクリエーション」に一役買うことにした。小さな子どもたちに混ざって、二列ある通路で駆けっこをした。スタートラインの反対側にはパーサーとCAさんがいて、「君の方が早かった」とか「同時だ」とか適当に順位をつけていた。勝っても負けても、お菓子や航空会社のボールペン、そして小さな飛行機の模型などを賞品として配っていた。さしずめ、空の運動会と言ったところか。アメリカの航空会社らしいと言ってしまえばそれまでだが、とてもいい経験だった。大人の私がそう思うのだから、子供たちや、その親たちはさぞや喜んだことだろう。今と違っていい時代だった。しかも、日本と世界との距離は今よりもっと遠かった気がする。
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Silent Thirty Seconds [飛行機]

過去の統計から、航空機事故のおよそ8割は離陸後の3分間と着陸前の8分間に集中しているため、この11分間を「Critical Eleven Minutes」と言うのは有名な話。そして、飛行機が離着陸するその時、CAさんは、お喋りを止めて”STS”をシミュレーションする。”STS”とは「Silent Thirty Seconds」の略で、離陸後の3分間と着陸前の8分間に事故が発生した場合の対応について頭の中でイメージをすることをそう呼ぶ。まず、エンジンの状況確認、次にドアを開け、エマージェンシー・スライドを膨らませる。そして、非常口席の乗客にサポートを依頼し、乗客を脱出させる際の「No heels!」、「No bags!」の掛け声など、一連の動作を復習する。また、ベリーランディング(胴着)、オーバーランや着水の場合などの状況に応じた脱出方法についてもイメージする。これをやっておくと、実際に事故が発生した時、混乱せずに冷静に対処できるのである。以前、搭乗した時に仲良くなったCAさんが、離陸する時にシートに座って目を閉じていたので、「もしかして怖いんですか」と聞いたら、「怖いのは怖いです」と笑いながら、STSのことを教えてくれた。それ以来、この時間帯にはCAさんに話しかけないようにしている。離陸後と着陸前に、CAさんの態度が急に変わっても嫌われた訳ではないのでご安心を。
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はじめての海外旅行 [アメリカ]

初めての海外旅行はハワイ。初めての海外旅行の王道だ。仲の良かった友人と4人で行ったハワイが最初の海外旅行だった。当時、1ドルは145円とか150円、、、だったと思う。それでも、1ドル360円の固定相場制だった時代に比べると円高だと言われていた。ハワイに行く前に4人で丸井に行き、海外旅行に必要な物資を購入した。みんなで、同じブランドのアロハシャツを購入した。私は海外旅行に行くような大きなバッグを持っていなかったので、巨大なSASの防水バッグを買った。このバッグば奇跡的に今も現役で活躍している。あとは、レイバンのサングラス、ウェイ・ファーラーを買った。このウェイ・ファーラーも今だに現役。そして、Body Gloveの派手派手の海パンとビーサンを揃えた。さすがに、これは、もうどこかにいってしまい既にない。万全の準備を経て我々はハワイのホノルルに向かった。

そして出発の日、夜の遅い時間に成田空港を出発した。そもそも国際線の飛行機に乗るのが初めてだから、当然、時差というものも初めての経験だった。しかも、”マイナスの時差”というのが頭ではわかっているのだが、実際のところよく理解できていなかった。6時間のフライトがとてつも長く、時間が全然進まなかった。ホノルルに到着したのは早朝。酷い時差ボケにやられてフラフラだった。入国審査では必ず英語で質問されると聞いていたので、事前に英語の質問と回答を暗記してきた。「ヨーシ、来るなら来てみろ」と入国審査官の質問に全神経を集中したが、何を言っているのかわからない。覚えてきたことと違うことを聞かれていることがわかり、一瞬パニックに陥った。ヤバい、と思って立ちすくんでいたら、隣の窓口で入国審査をしていた友人が「日本語、日本語」と私に言っているではないか。私の入国審査官が言っていることを、もう一度良く聞いてみると「モクテキハ」と言っている。あーっ、日本語で「目的は」って聞いていたのか。あせっていた私は、日本語の質問に対して、何故か暗記してきた英語で、「sightseeing」と答えた。そして、入国審査官の日本語の質問「ナンニチデスカ?」に、またまた何故か英語で「One week」と答えて終了だった。これが、私のはじめての海外旅行、そして、初めての外国との遭遇だった。あれから四半世紀が過ぎ、友人3人と私はオッサンになり果てた。
タグ:ハワイ
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ぼたんえび [日本]

仕事で札幌に行くまでは北海道に来たことがなかった。仕事とは言え、せっかく札幌に来たのだからススキノに・・・と言うことで、同僚とススキノの繁華街に繰り出そうということになったのだが、飲めない私は遠慮した。強引に連行されそうになったが、「明日、仕事しねーぞ」と脅すと彼らは諦め、私ひとり残してススキノに向かった。私は、「しめしめ、今晩は一人で思う存分寿司が食べられる」とほくそ笑んだ。そして、見つけた寿司屋に入った。何も考えずに寿司屋に入ったが、意外と高そうな店だった。カウンターに座ると、すぐに「お飲み物は何にいたしましょう」と聞かれた。「お茶をください」、、、と言いかけたが、意外と敷居の高そうな店の雰囲気に呑まれたのか、「日本酒をお願いします」と言ってしまった。「日本酒は、何にいたしましょうか」と、これまた私には難しい質問が続いた。お勧めの酒を聞くと「国士無双」という酒が美味しいと言うので、お店の勧告に従った。ううっ、何のために同僚をまいてまで単独行動で寿司屋に入ったのだ。純粋に寿司を喰うためではないか。これでは、寿司屋の思惑通り、大枚をはたいてしまうことになる。その上、過去の経験から、酔って味がわからなくなった揚句、眠くなって食事どころではなくなってしまうではないか。こんなことでは、いかんと自分を叱咤した。しかし、寿司屋の大将は日本酒を発注した流れの中で、「何か(酒の肴を)お作りしましょうか?」と追い打ちをかけてきた。そこで、「寿司を握ってください」と言いきってしまうのも無粋である。仕方なく、「おまかせで」と言ってみた。大将は、一瞬「ニヤっ」と笑ったように思えた。きっと、”こんな一見さんのトウシロの青二才にゃー、適当なもの出して、最後にふっかけてやればいいや”と思ったに違いない。ヤバイ、それほどたくさんの現金を持ち合わせていなかった。いつものジレンマにハマった。いつの間にか、北の辛口「国士無双」とエビの刺身が出てきた。「ボタンエビです」と大将は言った。初めて見たボタンエビは、どう見ても巨大甘エビだった。大将は、困惑する私の頭の中を見透かしたかのように、「内地の人は大きな甘エビって言いますが、全然違います。今が旬なので食べてください」と言った。確かに、食べてみると、ねっとりとした甘さは甘エビのそれに近いが、身の弾力や食べ応えが全然違う。辛口の日本酒と飲むと、より一層甘さが際立つ、、、って、酒飲んでるじゃん。食べ終わった後、「美味しい」と唸ると、大将が「美味しいでしょう」。そして、「辛口の酒と一緒に食べると、より一層甘いですよ」と、またまた私の頭の中を見透かすように言うではないか。さらに、「個人的には酒と一緒に食べて欲しくは無いんですけどね」と言うので、何故なのか聞いてみると、「私が飲めないから」と言って笑っていた。急に親近感が湧いてきた。こんなことなら、最初から日本酒など頼まなくても良かったなー。私が本当は酒が飲めないことを話すと、「酒が強くなさのうなのは、なんとなくわかりました」と、また笑っていた。なんだか、全部読まれている。あまりにボタンエビが美味かったので、もう少しボタンエビの刺身をもらおうかと思ったが、ここはやはり、ボタンエビの寿司を握ってもらうことにした。大将は、私がボタンエビの握りを頼むより早く、「お酒は無理して飲まなくてもいいですよ。お代は結構ですから。それより、何か握りましょう」と言って、まだグラスに1/3以上残っている日本酒を下げてくれた。この大将只者ではない。客の心を完璧に読むのだ、と思っていると、出てきたのは甘エビの握り。あれっ。。。大将曰く、「すみません、ボタンエビが終わっちゃって」だって。うーん、ここまで百点満点の寿司屋だったのに。。。しかし、良く見ると身代わりにされた甘エビの握りには、甘エビが4本ビッシリと乗っていた。せめて、ボタンエビに見えるようにとの大将の心遣いなのかもしれないが、やや微妙。しかし、甘エビの握りは美味かった。甘く、そして、切ない味がした。
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MD-90 [飛行機]

マクドネル・ダグラス社が開発したMD-90という飛行機が日本国内を飛んでいた。MD-80というベストセラー機の後継のため、ちょっと影の薄い存在だった。ANAはこの機材を保有していなかったが、JALは比較的たくさん所有していた。今はなき日本・エア・システムがたくさん持っていたので、JALがそれを引き継いだのだった。ナローボディで、シート配列は機種によって異なるが、2列-2列、2列-3列が多かった。座席は100席から150席くらい。一昨年(去年?)、JALのMD-90がすべて退役してしまったため、日本の空では見られなくなった。細身で一直線のシルエットが好きだった。女性に例えると小柄で細身なカイリー・ミノーグ。この飛行機はお尻にエンジンを二基くっつけている、ちょっと変わったスタイルが特徴的だったので空港で見るとすぐにわかった。小型機だったこともあって機内はとても静か。離陸に必要な距離が短いせいか、ふわっと知らない間に離陸するのも好きだった。国内の出張で比較的よくお目にかかっていたのだが、最後に乗ったのは、確か、羽田空港から秋田空港行きの便だった。平日だったこともあり、機内はガラガラ。のんびりした秋田にはふさわしいフライトだった。帰りも同じ飛行機で帰ってきた。先日、台湾に行った時、台北の松山空港で見かけた。ここ台湾ではまだまだドメでバリバリの現役だった。なんだか、昔の彼女に再会したような甘く切ない瞬間だった。さよなら、また会いにくるよ。それまで頑張ってね。
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ホテルに泊まるのが好き [ホテル]

それほど多くの国に旅をした訳ではないが、いくつかの国にいくつかのお気に入りのホテルがある。旅に出てお気に入りのホテルに泊まるのは楽しい。今日は空港で寝て一泊分の宿泊費を浮かせ、明日はちょっとドキドキするくらいラグジュアリーなホテルに泊まる。そんなギャップが楽しい。良いホテルの条件のうち、部屋がメンテナンスされ、清掃が行き届き、スタッフが親切、、、などというのはホテルが持つべき最低条件でしかない。そんなのは満たしていて当然の条件だ。良いホテルの条件は3つだけ。美味しい朝食が食べられて、ぐっすり眠れるベッドがあり、そのホテルとしての特徴を備えていること。美味しい朝食は、和・洋・中・ローカルなんでもいいが、朝からたらふく食べられること。ベッドは柔らかい方がいい。しかも体重をかけた部分だけが深く沈むマットレス、と言えばいいのか、ゴロゴロと動き過ぎないようなマットレスが良い。そして、せっかく泊まるのだから何か一つでいいから、日常に戻ったときに”また行きたいなー”と思わせるような印象に残る特徴が欲しい。初めて泊まる時はホテル予約サイトで調べたり、口コミを確認したりする。しかし、良いホテルかどうかは泊まった本人の主観でしかなく、自分が良いと思ったら誰が何と言っても良いホテルだ。反対に、自分にとってダメなホテルは誰が何と言ってもダメなホテルなのだ。宿泊費は安いにこしたことはないが、良いホテルに泊まるには、ある程度の出費は覚悟する。私にとって旅に出て気にいったホテルに泊まり、非日常を楽しむということは、辛い現実を一旦リセットすることなのだ。だから、コストにパフォーマンスが見合わないホテルに泊まると物凄く腹が立つ。もうひとつだけ、ホテルに求める条件としたら、気軽に泊まれることかなー。高ければいいってもんでもないし。だからホテル選びは楽しい。

私のお気に入りホテルは8つ。

 ・ロンドンのスローン・スクエアにあるNo.11 Cadogan Gardens
 ・タイのカオラックにあるThe Sarojin
 ・バンコクのTriple Two Silom
 ・あっちこっちにあるJALシティホテル
 ・ハノイの旧市街にあるEssence Hanoi Hotel
 ・チェンマイのRainforest Boutique Hotel
 ・マサチューセッツのレノックスにあるWheatleigh

(別格、私だけのお気に入りビジネスホテル)
 ・ビジネスホテル喜界

ちなみに、苦手なホテルは、エッジの効きすぎたスタイリッシュなホテルが苦手。神経がピリピリしてなんとなく落ち着かない。渋い、シックなホテルや徹底的に機能重視のホテルの方が落ち着く。あー、旅に出たい。。。
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DBC [フィリピン]

今年の正月にマニラに行ったのだが、日本への帰りにマニラ空港のフィリピン空港のチェックインカウンターでチェックインをしていたら、張り紙に、「volunteers」と「compensation」文字が書いてあるのが目に飛び込んできた。見る人が見れば、いい加減なフィリピン航空がチェックインカウンターでこの二つの単語を使う場合、ボランティアを募っていることがすぐにわかる。聞いてみると、案の定、成田行きの便がオーバーブッキングなので「volunteers」を募っている。「volunteers」に応じて次の便にすれば、「compensation」として1年間Openの東京-マニラ往復チケット、翌日の便にすると東京-マニラ往復チケットの他に4,000phpを提供するということだった。このように、ボランティアに応じてもらえるチケットをDBC(Denied Boarding Compensation )と言い、”本来、航空会社が与えるべき搭乗の権利を与えなかった埋め合わせ”というような意味合いが込められている。私は内心、「またかー」と思うと同時に、「しめた!」とも思った。というのも、私は今までに何度もフィリピン航空のボランティアに応じたことがあり、いわばフィリピン航空は常習犯(そう言う私も常習犯だが、、、)。オーバーブッキングは仕方ないが、私が知っている限りでも酷過ぎる頻度だ、、、とは言うものの、毎回、DBCのチケットがもらえるので、チャンスがあってスケジュールさえ合えばボランティアに応じている。今回もスケジュール的には問題が無かったので、ボランティアに応じて次の便にする旨を係員に伝えると、「ありがとう」と言われたが、こちらの方が「ありがとう」だ。その係員が、「今、手続きをするが、日本人のあなたにお願いがある」と私に言うので、お願いが何か聞いてみると、隣のチェックインカウンターに日本人がいて、ボランティアに応じてくれるようなのだが、英語がまったく話せないので通訳してくれないかと頼まれた。もうすぐ往復チケットが手に入るご機嫌な私は、「いいよ」と答えて、隣のチェックインカウンターにいた日本人に私が聞いた話をした。その日本人は群馬から一人で来た60歳を過ぎたおじさんだった。一通り説明をした後で、「英語がわからないのによくボランティアのことがわかりましたね」と聞いてみると「前もこういうことがあったので勘でわかった」と笑っていた。”埋め合わせチケット”を受け取るまで時間があったので、そのおじさんと話をしたが、とんでもないツワモノだった。とにかく日本語以外は一切話せない。入国カードは自分で書けないので、いつも旅行代理店で書いてもらっていると言う。奥さんがフィリピンに二人(?)いるので年に4~5回は奥さんに会いに一人で来るらしい。しかも、マニラではなく地方なのだ。言葉が通じないのにどうやって行くのか不思議で仕方がない。おじさんに聞いても「大丈夫だよ」と言うだけ。今まで特に危ない目にあったこともないらしい。いやー、凄い。ビックリした。おじさんたちは元気だ。このおじさん、根っからの良い人のようで、ずっとニコニコしている。フィリピンの人は、根は親切で優しい人が多いので、このおじさんは完全に同化してしまっているのかもしれない。旅先で凄い人に会った。
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スカイタイム [日本]

先日、大阪まで行く用事があったので、新幹線で行くか、飛行機で行くか迷った末に、結局、飛行機を選んだ。都内から大阪の中之島までなので新幹線の方が楽そうだったのだが、そこは飛行機好きとしては譲れない。地下鉄と都営浅草線エアポート快特を乗り継いで羽田空港の国内線ターミナルへ。それほど時間もかからないし便利だ。羽田空港は国際線ターミナルよりも国内線ターミナルの方が賑やかで華やかだ。無事にチェックインを済ませ搭乗と相成った。ほぼ定刻に出発、素晴らしいではないか。離陸して、シートベルト着用のサインが消えたので、羽田空港で買った空弁を取り出して食べようとした。ちょうどその時、タイミング良くCAさんが飲み物を配っていたのでお茶を頂いた。機内食でも、お弁当でも、おにぎりでもいいが、機内から青空を見ながら食べる食事は美味しい。私は20%増しの美味しさを堪能していると、さっきお茶を配ってくれたCAさんが、スープを持ってきてくれた。しかも、「お味噌汁があればよかったのですが、なくてすみません」と謝られてしまった。いえいえ、こちらこそすみませんだ。勝手にお弁当を開いて食べていたのを見て、スープを出してくれるなんて泣かせるね。乗客がそれほど多くなかったためか、スープを出してくれたCAさんも比較的暇だったようで、キウイ風味のスカイタイムの話で盛り上がった。今は、ゆず味を経てシークワーサー味のスカイタイムを飲むことができる。しかし、私はゆず味、シークワーサー味のスカイタイムを飲まないことにしている。一昨年、キウイ風味のスカイタイムが期間限定で復活した時も飲まなかった。それは、昔飲んだスカイタイムに敬意を表しているから。さらに、スカイタイムを開発した人達に敬意を払っているから、、、とずいぶん頑固なことを言って、結局、復刻版キウイ風味のスカイタイムを飲む機会を逸してしまった。今度はいつ復刻版を出すんだろうか。なるべく早く出して欲しい。
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山形機長の機内アナウンス [飛行機]

山形さんの機内アナウンス。なんでもあるんだな。。。


タグ:山形和行
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アメリカで一番古いハンバーガー屋 [アメリカ]

ニューヨークの北、グランドセントラル・ステーションから電車で小一時間のコネチカット州ニューヘイブンに美味しいハンバーガー屋がある。アメリカで一番古いと言われている二つのハンバーガー屋のうちの一つらしい。場所は、かの有名なイエール大学のすぐそばにある”Louis Lunch”というハンバーガー屋だ。グランド・セントラルからメトロノース鉄道に乗ってニューヘイブン・ユニオン駅で降り、歩くこと15分くらい。イエールのキャンパスのすぐ近くだから行けばすぐにわかる場所にある。それはかわいらしい店で外見はとても小さい。店内はテーブルで食べている人、持ち帰り用を待っている人でギュウギュウ詰めだ。観光客らしき人が多い印象だ。日本人(韓国人?)も見かけた。奥に注文するカウンターがあり、カウンターのさらに奥では、おばあさんが不思議な機械でパティを焼いていた。珍しく、パンはバンズではなく2枚のトーストした食パンに挟むタイプで、小ぶりなハンバーガーだ。注文するカウンターの上の看板に「Don't even ask for ketchup!」と書いてあったのがアメリカらしくなくて笑えた。世界で一番ケチャップを消費してるくせに(w

一つ買ってみることにした。ここのハンバーガーには玉葱が入っているので抜いてくれと頼んだのが特に怒られることはなかった。ただ、いかんせん高い。正確な値段は忘れたが$5くらいだったと思う。イエールのキャンパスのベンチに座って食べたが、味は激ウマ。とにかくパティが最高。肉の味自体が美味い。しかも、ちゃんとミディアムレアになっていたのには驚いた。アメリカ人が肉をミディアムレアに焼けるとは知らなかった。ちなみに、アメリカで食べたハンバーガーの中で一番美味いハンバーガーだ。いつも食べているハンバーガーとは全然違うものだった。これが、どうやってマクドナルドのハンバーガーに進化したのか不思議でならない。もうひとつ買いに店に走ったが、店はもう閉まっていた。まだ、午後の4時を過ぎたばかりなのに。。。この店は、日曜と月曜が定休日、火曜と水曜がお昼から夕方まで、木曜~土曜が深夜まで営業と、めちゃめちゃ変則的なのだ。しかも、大学の近くという場所柄、一ヶ月くらいの夏休みがある。知らずに行って、何度、食べ損ねたことか。。。
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SSSS [カナダ]

2009年にワンワールドのグローバル・エクスプローラーで西回り、というか南回りでというかで、成田⇒アジア⇒ヨーロッパ⇒アメリカ⇒カナダ⇒成田と廻って2か月ほどで日本に戻ってきた。今のところ、これが最後の世界一周航空券の旅。北米大陸に渡ってからは、ボストン⇒ニューヨーク(LGA)⇒モントリオール⇒ニューヨーク(JFK)⇒トロント⇒ダラス・フォートワース⇒バンクーバー⇒成田という、アメリカとカナダを出たり入ったりするルートだった(今のグローバル・エクスプローラーでもボストン⇒ニューヨーク(LGA)⇒モントリオール⇒ニューヨーク(JFK)⇒トロントなんていう経路を選択できるのかな?)。ニューヨーク(JFK)までは、旅程上の大きなトラブルもなかった。ニューヨーク(JFK)からカナダのトロントに向かうためにアメリカン航空のチェックインカウンターで搭乗券を受け取った際、搭乗券に”SSSS”と印刷されているのに気が付いた。係員は搭乗券の”SSSS”と印刷された箇所を黄色いラインマーカーで塗ってから私に渡した。なんだろうと思っていたが、きっと”スーパー・スペシャル”な乗客とかなんだろうとを考え、敢えて聞くことはせずに、荷物検査とボディチェックに向かった。しかし、手荷物検査のところで、「おまえは、あっちのラインに行け」と別の検査ラインに行かされた上、念入りなボディチェックを受けた。ボディチェックに時間がかったものの、この時はあまり気にはしなかった。トロントに到着して入国審査を受けるとき、何故か別室に連れて行かれた。そこは、ほとんどがヒスパニック系、アラブ系、アフリカ人、それに中国人、韓国人の有色人種ばかり。とにかく、この部屋は騒がしかった。ヒスパニック系の男性が床に押し倒されて2、3人の空港職員に取り押さえられていたかと思えば、韓国人の若い女は家財道具を一式持って来ました、、、というような見たこともない巨大なスーツケースから荷物を全部出して調べられていたが、急に泣き出す始末。また、別の場所では中国人の女が女性空港保安員に大声で怒鳴っている。まるで動物園だ。そんなところに、なんんでおいらが、、、と思っていると女性の空港保安員に呼ばれ、パスポート、デイバッグの中身、ポケットの中にある物を全部出すように言われた。まず、彼女はパスポートを1枚づつ丁寧にめくって確認し始めた。そして、デイバッグの中の汚れもを1つづつ入念に調べていた(パ、パンツが・・・)。そして、ポケットに入っていた小銭入れと財布を出すと、お札の1枚1枚、コインの1個づつを確認していた。さらに、バッグの中に入っていたデジカメの写真をを1枚1枚全部再生して確認した。その挙句、デジカメの写真の中に旅の途中に知り合ったタイ人女の子と、ロンドンで知り合ったアフリカ系の女の子の写真を見つけて、「これは誰だ」、「どこの国の人間だ」、「何故写真がある」と執拗に聞かれた。他に白人女性の写真もあったのだが、明らかに有色人種の女の子の写真についてだけ詰問してくる。無駄な事とは知りつつ「ここには有色人種しかいない。そして、僕がここに連れてこられたことと有色人種の女性の写真について質問されることは何か関係があるのか。明らかに人種差別だ」と大きな声で言ったが、その女性保安院は「これは保安上必要なことだ」とだけ短く答え、自分の仕事を続けた。結局、約2時間、所持品を入念に調べられて、旅行のルートについて詳しく聞かれて無罪放免となった。今まで、こんな酷い審査は初めてだった。この時は、まだ、カナダって入国が厳しいのかなー、くらいの感じで余裕だった。そして、トロントでの滞在を終えダラス・フォートワース空港に飛ぶためにトロント・ピアソン空港でチェックインすると、また搭乗券に”SSSS”がプリントされていた。出国は普通の検査だったが、嫌な予感を抱えたままダラス・フォートワースに到着。やはり、入国審査は別室に連れて行かれ、入念な荷物検査と身体検査を受け、ホテルへの到着が真夜中になってしまった。”SSSS”がいけないのかなー、”SSSS”って何だろう。。。テキサスでは、毎日、死ぬほどステーキを喰っていたので”SSSS”のことはすっかり忘れていた。しかし、バンクーバーに行く日の朝に思い出してしまった。ダラス・フォートワースでチェックインすると搭乗券には、やはり”SSSS”の文字が。。。、出国の荷物検査とボディチェックは、別のラインで入念に。バンクーバーでの入国審査はトロントの再現だった。とにかく入念な荷物と所持品の検査には時間がかかる。そりゃー、デジカメの写真を1枚づつ見てたら時間がかかるわ。幸い、バンクーバーから成田に帰る便の搭乗券には”SSSS”がなかった。

後日、で調べたら、”SSSS”はSecondary Security Screening Selectionの略だということがわかった。要するに、特別な保安検査を受ける対象に選ばれた搭乗者のこと。”SSSS”は、普通の旅行者とは違った航空券、すなわち、短期間に何度もアメリカを出たり入ったりしたり、奇妙な乗り継ぎをするような搭乗者の中からランダムに選ばれるらしい。どうりで。。。”SSSS”は非常識を通り越しているので”Super Special Strip Search”とか言われているらしい。
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ライアンエアー [スペイン]

聖ヤコブ年を聖地で祝うために、スペインのマドリッドからサンティアゴ・デ・コンポステーラに行った時、初めてLCCなるものを利用した。ライアンエアーというアイルランド航空会社だった。当時、LCCの大手はアメリカではジェットブルーとサウスウエスト、ヨーロッパだとライアンエアーとイージージェット。アジアではエアアジアが有名だった。日本にもスカイマークエアラインズがあったが、まだまだLCCの知名度は低かった。

サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの航空会社はどこでもよかったのだが、飛行機の時間帯と運賃のバランスが一番良かったのがライアンエアーだった。ライアンエアーは徹底したコスト削減が潔い。ビデオや音楽などのエンターテインメント設備どころが、新聞、雑誌、毛布などのサービスが無いことは知っていた。機内食や飲料が有料なのも知っていた。シートがリクライニングしないことも事前にわかっていた。しかし、旅程表をよく読むと「チェックインはオンラインでしかできないから、オンラインでチェックインしろ。空港で搭乗手続きをしないから搭乗券を印刷して持って来い」と書いてあったのには笑った。運賃が安くなるならサービスの簡素化は大いに結構。たかが1時間ちょっとのフライトなので昼寝するのにちょうどいいではないか。実際に乗ってみても、”ないないづくし”には、まったく問題はなかった。しかし、、、しかし、飛行機が離陸すると突然、「パンパカパーン♪」という、けたたましいファンファーレとともにスペイン語の機内放送が流れた。中南米のやけにテンションの高いDJのラジオ放送のようだ。これが、1回や2回流されるのではなく、フライト中にずっと繰り返されているのである。おかげで、離陸したら昼寝をしようという目論見は完全に外れた。ちょっと、うとうとすると、「パンパカパーン♪」と始まるので、ハッと目が覚める。コストパフォーマンスの見合う範囲でならどんなに効率化しようと構わない。度を越したコスト削減も事前にわかっていれば目をつぶる。しかし、お願いだから昼寝の邪魔だけはやめてくれ。
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ぼられることは旅のうち [旅]

海外に行くと日常的にぼったくりに遭遇することがある。日本でさえ風俗街に行けば、ぼったくりがある。当然、ヨーロッパやアメリカにもある。世界中どこでも多かれ少なかれぼったくりは存在する。日本にいれば、ぼったくりが嫌なら、ぼったくられる場所に行かなければ済むのだが、海外だとそう言う訳にはいかない場合がある。望むと望まざるに拘わらずぼったくりにあう。一番多いのがタクシー。メーターを使わずに金額交渉でいきなり高額な値段を吹っかけられる。フィリピンやマレーシアでは当たり前の光景。買い物などで、現地の適正価格より高額な値段を吹っかけられるケースも多い。多い、というより、ベトナムやフィリピンなどではこれも当たり前。飲食店などで外国人用メニューがあり、そもそも高額な価格設定になっていることもあったりする。以前は、海外でのタクシーや買い物の金額交渉が煩わしかったが、最近は、これは”儀式”なのだと自分に言い聞かせることにしている。タクシーの場合、高いと思えば値切るし、嫌ならタクシーから降りてしまえばいい。しかし、その時に急いでいたり、雨が降ってきたり、暑くて死にそうだったりと、どうしても必要だと思えば高くてもそのタクシーに乗る。買い物も高いと思えば値切るし、嫌なら買わない。しかし、その時にどうしても必要なら多少高いと思っても買う。飲食店の外国人メニューだって基本的に同じだ。その価格が適正かどうかは別にして、価格に納得すればその金額を払って食べるし、高いと思えば店を出る。しかし、その時にどうしても食べたければ高くても食べる。結局は、需要と供給の問題だ。

価格交渉も自分なりの経験則がある。私は高額なものだけに注意を払う。日本円で100円以下、、、とかはどうでもいいのだ。日本円で10円のもを10倍ぼられたところで100円。そんな金額に目くじらを立てるのも馬鹿らしい。高額な場合は、最初にこちらから価格を提示する際に、相手が非常識と思うような値段を言ってみることにしている。

マレーシアのジョホールバルからマラッカまでタクシーをとっ捕まえて行く場合、タクシーメーターは付いているが100%価格交渉になる。ジョホールバルからマラッカまで200kmを軽く超えるため、高速道路を使っても2時間以上はかかる。運賃は高速料金やガソリン代込みで250RMから300RM(日本円で約8千円から9千円)が相場だ。タクシーの運転手に「いくら出す」と言われて、間違ってもこちらから「いくら?」などと聞いてはいけない。聞いた瞬間、とんでもない価格を言ってくるから。あくまで、こちらのペースで。もし相場がわからなかったとしても、日本だったら高速を使って静岡あたりまで行くとしたら5万円ではきかないだろう。恐らく、給料の1/5が飛ぶ、、、と考えると、良くはわからないがマレーシア人の平均月収が2万円くらいだと想定して、その1/5だから4千円。マレーシアリンギットで約130RMなので、10の位切り捨てで「100RM」と言ってみる。運転手は「フン」と鼻で笑うが、脈があれば「500RM」とか吹っかけた金額を言ってくるはずだ。脈が無ければ手を振ってどこかに行ってしまう。脈がなかったら、失敗した金額を次の交渉に生かせばいい。脈があったらしめたもので、言ってきた金額の半分以下の値段を返してみる。こちらが「200RM」と返し、向こうが「400RM」と答えてくれば、落とし所はおのずと「300RM」になる。

相手が最初から吹っかけた金額を言ってくる場合は、むしろ楽だ。マニラの空港から空港タクシーに乗って市街まで行くと高いので、出発フロアまで上がり、市街地から来て空港で客を降ろした一般のタクシーを捕まえる。「LPレビステ、サルセドビレッジ、マカティ」と行き先を告げるとタクシー運転手はこちらの意図がわかっているから、「400PHP」(800円)と吹っかけてくる。ふざけるな、空港からサルセドビレッジまでなら200PHPでお釣りがくる。常識外れの金額として、相手の言ってきた金額の1/5に近い「100PHP」と言う。すると、薄ら笑いを浮かべながら400PHP必要な理由を説明してくるので、そんなヨタ話は聞かずに、毅然と「150PHP」と大声で言う。そこで、「OK」なり、「あと50PHPだけ」、、、くらいの答えがあれば、そのタクシーで行く。しかし、まだ、訳のわからないことを言うようなら、タクシーを降り、さっさと次のタクシーを捕まえて交渉する。

現地価格を知らずに、価格交渉で失敗することなど日常茶飯事だ。ベトナムのホーチミンのタンディン市場でTシャツを2枚買ったら店のおばちゃんに、「200,000VDN」(千円)と言われた。よくわからないまま、気合で「40,000VDN」と値切った。もう一度、おばちゃんが、「200,000VDN」と言ったので、さらに「20,000VDN」と値切ったら、怒ったおばちゃんに蝿のように手で追い払われた(w。店は1軒だけではないので、あっさり他の店に行って今の失敗を生かせばいいのだ。

ただ、、、こういった煩わしいことに慣れてしまうと、海外から帰って来た直後に日本で買い物をしている時など、なんとも物足りなく感じることがある。物足りない、というよりも、ほとんど言葉を交わさずに買い物ができてしまうことが不思議に思えるのだ。よく、友人から「そんな場所にわざわざ行かなければ、ぼられることもないじゃん」と言われる。でも、実際に現地に行くからこそ、ぼられることを経験できるのだ。ぼられることは旅のうちだと思っていれば、そのうち余裕も出てくるだろうか。
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タイ米 [タイ]

もう、20年以上も前のことになるが、国内のコメ不足でコメが手に入らなくなったため、アメリカ、タイ、そして中国などから急遽、コメを輸入した時期があった。幸いにも我が家は父の実家や母方の親類からコメを送ってもらったため、ほとんど”外米”を食べずに済んだ。一度だけ母がタイ米を買って来て私たちに食べさせたが、あまり美味いものではなかった。炊きあがったご飯は、日本のそれとは違い、ムッとする臭いが鼻を突いた。そして、いつも食べているご飯のつもりで食べようとすると、ご飯粒が箸からハラハラとこぼれ落ちてしまう上、パサパサなので喉を通らなかった。それはそうだろう。タイ米を見たことも調理したこともない母が日本のコメと同じように炊飯器で炊いていたのだから。。。タイ米は鍋の沸騰させたお湯に直接ブチ込んで短時間で炊き上げる。そして、カオパットのような炒飯にすると美味いのだ。しかし、そんな知識もなかった当時、不評を買った我が家のタイ米は一度だけ食卓に上がったきり二度とは出てこなかった。

その後、バンコクのタイ料理屋に行った時、店に日本語を話す親切なタイ人のおばさんがいた。おばさんは、日本人の我々に、これが美味しい、あれが美味しいと教えてくれ、とても親切だった。その時私は”とっておき”の我が家のタイ米の話を、おもしろおかしく話しのだが、親切だったタイ人のおばさんが急に怒り出した。なんでも、日本のコメ不足の時にタイが日本に大量のコメを輸出したため、逆にタイがコメ不足に陥りコメの価格が上がって困ったそうだ。しかし、おばさんはコメの価格が上がったことよりも、日本が困っているからコメを輸出したのに「タイ米は不味い」と言って食べずに捨ててしまったことを怒っていた。そりゃー、確かに腹も立つわな。一応、日本を代表して謝っておいたぞ。いまどきの日本の若い女の子たちは、日本のコメを喰わず、タイ料理のタイ米を喜んで食べる。タイ料理を喰いながら若い女の子に、「おじさんの若いころはね、、、」と言ってみたところで、「へーっ、とりまやばたん♡」とか返されて終わりである。なんだかちょっと切ない。
タグ:コメ不足
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鴛鴦茶 [香港]

香港に行って必ずと言って良いほど一番最初に口にするものは、スターバックスのユンヨン・クリーム・フラペチーノ。スタバ版の冷たい鴛鴦茶(ユンヨンチャー)だ。鴛鴦茶は、知ってる人は知っている(当たり前か、、、)ミルクティー70%とコーヒー30%を混ぜたお茶。甘くて渋くて苦いい複雑な味が好きだ。これを口にすると一気に香港に来た感が出てくる。子供のころからコーヒーよりも紅茶の方が好き(別にコーホーが嫌いな訳ではないが)。でも、たまにコーヒーが飲みたくなると、家で牛乳をいっぱい入れたミルクティーにインスタントコーヒーの粉末を入れて飲んでいた。テレビ番組で香港の鴛鴦茶の事を見た時、「ついに、おいらの時代が来た」と思った。さっそく、香港の喫茶店で飲んでみた。家で作るものとはだいぶ違ったが美味しかった。自分で作ったやつは、明らかに”ミルクティーにインスタントコーヒーの粉末を入れました”という味になるが、香港のは、紅茶が濃くて激甘なため、まったくの別物。秘かに香港に行く都度愛飲していたのだが、ある時、香港のスターバックスで売られていることに気が付いた。クリームが乗っかって味は洗練されているものの、確かに鴛鴦茶だった。香港空港の到着ロビーにあるスタバで、何かの拍子でユンヤン・クリーム・フラペチーノは無いと言われたことがあったが、「English breakfast tea latte with all milk. Please pump ten times vanilla syrup into it.」と店員に言ってみたら、「Ten times?」と、爆笑しながら鴛鴦茶を作ってくれた。甘党には最低でも「ten times vanilla syrup」くらいの量が必要なのだ(w。ちなみに、今、香港空港の到着ロビーのスタバがある場所は、以前はKrispy Kremeだった。もし、スタバではなく、今もKrispy Kremeだったら、このブログの書き出しは、「香港に行って必ずと言って良いほど一番最初に口にするものは、Krispy KremeのOriginal Glazed。」になっていたはずだ。
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Chippy [イギリス]

日本では、あまり食べないフィッシュアンドチップス。マックのフィレオフィッシュ、ケンタのフライドフィッシュ、のり弁の白身魚のフライは、たまに食べるのに、何故か日本では食べない。そもそも、Chippy自体がほとんど存在しないからなのだろうか。決して、爆発的に美味い訳ではないが、たまに食べたくなる。それも、寒い時期に限って。。。

真冬のロンドンでTubeに乗ってVictoriaで降りるつもりが、乗り過ごしてテムズ川を越えたVauxhallまで行ってしまった。地下鉄に乗って戻るだけなのに、その時、何を思ったのか、「歩いてみるか」と地上に上がった。そして、Victoriaを目指してとぼとぼと歩いた。テムズ川を渡って、ずっと道沿いに歩いて行けばいいことぐらいは、私にもわかった。しかし、侮れない1月のロンドンは日中とはいえ手足が凍ってしまうのではないかという錯覚に陥るほど寒かった。しかも、歩き始めてすぐに雨が降ってきた。郵便局で雨宿りをしたが、雨は一向に止む気配がない。再び歩きだと、今度は道を間違えた。たいして歩いた訳ではないが、あまりの寒さに、お茶でも飲もうと思って道路沿いの店に入った。どうやらら、シーフードのレストランのようだった。ちょうどお腹も空いていたので、暖かい紅茶、それにコッドフィッシュとチップスを頼んだ。店に入って椅子に座ってからも寒くてしかたがなかった。「チッ、風邪をひいたかな」と思っていると、紅茶が来た。ミルクをたっぷり入れた暖かい紅茶を飲むと生き返るようだった。物凄い勢いで紅茶を飲んでしまったので、もう一杯、紅茶を頼んだ。二杯目の紅茶を飲んでいるとコッドフィッシュとチップスが来た。周りの人達がやっているのを真似してコッドフィッシュにサーソンズのモルトビネガーをビシャビシャとかけて喰った。あまりの熱さに口の中でハフハフ、そして、かけ過ぎたモルトビネガーにゲホッ。寒くてお腹が減っていたので貪るように喰った。美味しいなー。やはり”郷に入っては郷に従え”だ。私にとってフィッシュアンドチップスは冬のロンドンの味覚。そうそう、そう言えば、この店には醤油が置いてあったっけ。
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マンハッタンデビュー (最終日) [アメリカ]

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ついに日本に帰る日が来た。あっと言う間の10日間だった。帰りたくない気持ちが80%、一刻も早く帰りたい気持ちが20%。早く帰りたい気持ちが20%もあったのは、早く日本に帰って、誰かに「楽しかったよ」と話したかったのかもしれない。また来るぞ。昂ぶる気持ちを抑えながら、私は機上の人となった。しかし、やはり帰りの飛行機からも自由の女神と摩天楼は見えなかった。

先日、部屋を整理していたら、初めてニューヨークに行った時に手に入れたいろいろなものが出てきた。ボーディングパスの半券、ニューヨークのタクシーに乗る時の注意書き、The Map、美術館や博物館のフロアマップ、オイスターバーのメニュー、、、などなど。どれも楽しい思い出が詰まったものだった。出てきたものの中で意外だったものが二つ。ひとつは、マンハッタン滞在中の日記。日記と言うか、何月何日の何時、どこに行って、何を見て、何を食べ、何を買い、それがどうだったか、、、など、くだらない事をビッシリ書いた記録だった。日記など小学校の夏休みの絵日記しか書いたことがなかったと思っていたが、こんなところでも書いていたのだ。もうひとつは、ホテルの請求書。何故か、毎日、ホテルから電話料金を請求されていた。全部ローカルコールで同じ電話番号。なんだったっけなー、と一生懸命思い出していたら、PCのインターネット・アクセスだった。当時、ホテルにはLANの設備などなく、Wi-Fiに至ってはその存在すら知らなかった。インターネットアクセスには、まだまだモデムを使用するのが一般的だった。そんな品々を見ながら楽しかった日々に想いを馳せた。最近は旅行に行っても、写真を撮ったり、記念の品を残すことをしなくなっていた。”また行けばいい”と自分に言い聞かせていたが、やはり旅の思い出を振り返るのは楽しいものだ。自分で書いた”日記”を読み返すと、毎日、興奮していた様子がうかがえる。あの時の私は、よほど嬉しかったに違いない。パスポートを見返してみるとニューヨークのスタンプは21個あったが、2010年2月が最後だった。なんだか、急にニューヨークに行きたくなってきたなー。(おわり)
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マンハッタンデビュー (9日目) [アメリカ]

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9日目。この日は自然史博物館には行かず、散歩がてらお土産を買いに行くつもりだった。遅く起きて、朝飯を喰い、そして二度寝。起きてから5ブロックほど歩いて、いつものカフェに行った。ホットチョコレートを頼んだら、「いつも、それだね」と言われた。ビックリして顔を上げると、店のおじさんが笑っていた。どうやら顔を覚えてくれたようだ。なんだか、この街に馴染むことを許されたような気がした。良い街だなー。特別に何があった訳ではないが、毎日、地下鉄に乗り、恐竜の親子を見て、ボーっとお茶を飲んだりご飯を食べたりしながら、一見無駄な時間を過ごすのがとても大切に思えた。ちょっと神経質でクールなニューヨーカーも素顔は意外と優しくて親切だ。できることなら、いつか暮らしてみたい。初めてそんなことを思った街だ。カフェを出て、ここに来た初日に目を付けておいたウエストサイドのチョコレート屋に行ってみた。甘いモノ好きの両親には、是非、激甘のチョコレートで死んでもらおうと思った。その、レンガ作りの古めかしいチョコレート屋はなんだか可愛らしい。LI-LAC CHOCOLATESという名前のチョコレート屋だった。イートインなどはなく、ドーンとチョコレートだけを売っている。しかも、チョコレートは巨大なバーやポンド単位の量り売りだ。なんと潔いチョコレート屋だ。ショーケースの中を覗いていると、「試してごらん」と大きなチョコレートの一かけらをくれた。ヨーロッパのチョコレートや日本のチョコレートの方が美味しいのはわかっているが、アメリカで喰うんだからアメリカのチョコレートがいいに決まってる。Pecan Nutsのミルクチョコレートが美味しそうだったので、味見できるか聞いてみたら、またまた、大きめのかけらをくれた。おっ、これは美味い。これにしよう。しかし、いくら甘いものが好きな両親でも、1ポンドは多すぎるだろうと思い、1ポンドを半分づつに分けてくれないかと頼んでみたら、あっさりOKだった。値段は$18.00.もはや、この値段が高いのか安いのかわからなくなったので思考を止めた。一旦、ホテルに戻って荷物を置いて、またホテルを出た。そして、目的もなくアップタウンに向かって歩いた。この街は1ブロック歩くと丁目が1つづつ増減するのがいい。調子に乗って20ブロック歩いてしまった。もう、マジソン・スクエア・ガーデンのすぐ近くだ。大きな地下鉄の入口には”PENN STATION AMTRAK”と書いてあった。「地下鉄だけじゃなく、AMTRAKの駅もあるのか」と思い、降りてみることにした。地下に降りてびっくり。大きな駅で、物凄く人が多い。そして、駅の中には、アイスクリームやピザ、ミスタードーナツ、ダンキンドーナツ、そしてサンドイッチや飲み物、さらには本やお土産を売る店がたくさんあった。大きな商店街だ。アイスクリームを買って、食べながらグルグル歩き廻った。Amtrakのコンコースは地下1階にあった。大きな電光掲示板で行き先を見ていると、Boston、Washington、Torontoと表示されていた。えっ、トロントってカナダの?カナダまで行ってるんだ。ふーん、とさらに歩き回った。そして、それは運命的な出会いだった。初めて見るドーナツ屋を発見した。みんな、1個、2個などという”みみっちい”買い方ではなく1ダーズ、2ダースとダース単位で買っている。美味しそうなので買ってみることにした。「ドーナツを1つください」、というと、「1個?」と嫌な顔をされた。驚いて、「いや、2個」というと、今度は「そんだけ」と言われた。仕方がないので「6個」と答えると、「フン」と鼻でせせら笑われた。そして、今度は「どのドーナツ?」と言われた。どれが美味しいのか聞いてみると、”Original Glazed”という溶かした砂糖がコーティングされたドーナツだった。そう、それはKrispy Kremeのオリジナル・グレイズドを初めて見た瞬間だった。一目惚れだった。店員がその場で1個サービスしてくれたので、喰ってみたが、ふんわりとした柔らかさが口の中で溶けるような食感だった。これは美味い。完全に恋に落ちた。それから、急いでタクシーを捕まえてホテルに戻って、6個あっと言う間に完食。食べると言うより、飲むと言った方が正しいだろう。まだまだ食べられそうだったがこのへんでやめておくことにした。絶対に、このドーナツは私に発見されることを待っていたに違いない。メデタシメデタシ。美味しいものがいっぱいあるじゃないか、ニューヨーク。(続く)
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マンハッタンデビュー (8日目) [アメリカ]

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なんと、マンハッタンに到着してから8日目。もう、8日目だ。でも、全然飽きない。飽きないどころか、毎日、朝起きて、夜寝るまで楽しくてしかたがない。今日はいつもどおり出勤。午前中は自然史博物館に行った。そして、午後はグッゲンハイム美術館に行った。自然史博物館からセントラルパークを横切ると五番街に出る。五番街を渡って88th St.まで歩くと、フランク・ロイド・ライトが設計した”でんでん虫”、というか、”みなしごハッチのお尻”のような形のその美術館はあった。写真の通りだ。さっそく美術館の中に入ろうと入口らしきところに行くとチェーンで入れないようになっていた。そして、チェーンに”CLOSED”のプレートが。。。なんーだ、せっかく来たのに今日は休みか。しかたがないので、予定を変更して自由の女神を見に行くことにした。自由の女神といっても、高いお金を払ってリバティアイランドに行くのではなく、スタテンアイランド行きの無料のフェリーから見るだけだ。ガイドブックによると、スタテンアイランド行きのフェリーに乗ると自由の女神が見れるだけでなく、ちょっとした”船旅”気分が味わえると書いてあった。私は、元来”無料”という言葉に弱い。気を取り直して、グッゲンハイム美術館を後にした。そして、86th St.から地下鉄に乗った。そう言えば、地下鉄もだいぶ慣れてきたみたいだ。Bowling Greenで降りて、地図を見ながら歩くと、無事にスタテンアイランド行きのフェリー乗り場があるSouth Ferryに到着。なんとなく、人の流れに着いて行くとフェリーターミナルの建物があった。当時、このあたりは。あちこちが工事中だった。フェリーターミナルの建物の中は思っていたより広かった。奥に巨大なシャッターのようなものがいくつかあり、そのうちの一つのシャッターの前にたくさんの人が人垣を作っていた。きっと、乗船時間が来るとシャッターが空くんだろうと考えて、私もシャッターの前に並んだ。10分位待っているとアナウンスがあり、シャッターが開いた。やはり、ここから乗船するのだ。フェリーは思っていたよりもかなり大きかった。乗客は結構乗ったように思えたが船内はスカスカ。ガイドブックにはスタテンアイランドに行く場合は船の右舷に座ると自由の女神が見える、と書いてあったので右側の席に座った。やはり、みんなよく知っていて、ほとんどの人が右側に乗っていた。船のバランスは大丈夫だよね。出港するとすぐにダウンタウンのビル群が見えてきた。これはこれで既にカッコいい。してしばらくすると船内が少しざわついて来た。やはり、自由の女神見えた、、、と思ったけど、かなり小さい。小さいけど、肉眼でギリギリ識別可能なサイズ。まぎれもなく自由の女神だ。ニューヨークの象徴、というかアメリカの象徴。軽く感動した。私にはこれで十分だ。昼間の明るいうちに見たのだが、ガイドブックには夕方が綺麗だと書いてあった。納得。約30分のクルーズは大満足。マンハッタンへの帰りは、行きとは反対に左舷に自由も女神が見えた。これで無料というのは、やぱりニューヨークは太っ腹だ。(続く)
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マンハッタンデビュー (7日目) [アメリカ]

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こちらに来て一週間。少しは慣れて、おどおどしなくなってきた、、、気がするだけかなー。その日は午前は自然史博物館に行き、午後にMoMAに行った。MoMAは絵だけではなく、Power Mac Cubeなどの工業製品も展示していたのでビックリした。ゴッホのオリーブの木と星月夜を見て目が回り、ピカソのアヴィニョンの娘たちを見て頭がクラクラした。もしかするとモダンアートはおいらには、あわないのかもしれないと思った時、気になる作品を見つけた。Broadway Boogie Woogieという油絵。後で調べたら、ピエト・モンドリアンのブロードウェイ・ブギ・ウギという有名な作品だった(全然知らなかった。。。)。現代美術特有の書けそうで書けないヘタウマの絵(すみません)。何故だかわからないが気にいったのでギフトショップでポストカードを買って帰った。そして夜は昨日行けなかった”KATZ'S”に行った。今度は、ちゃんと行けた。タクシーで。。。KATZ'Sのパストラミは美味かった。パストラミを試食させてくれるのも嬉しかった。でも、全体的に値段が高過ぎる。しかも、サンドイッチを作るおやじに、あからさまにチップを要求されたのが腹が立った。もう行かないからいいや。KATZ'Sを出て、車に轢かれそうになりながらを通りを反対側に渡ると、イエローキャブがたくさん止まっているのが目に入った。そして、1台、また1台とイエローキャブが止まり、車から運転手が出てきて建物の中に入って行く。そして、運転手が入った建物から別の運転手が出てきて、道端に止めてあるイエローキャブに乗って走り去る。その繰り返しだ。なんだか怪しい。麻薬かなにかをやってるのかなーと、いつでも走って逃げられる態勢を取りつつ、歩きながら見ていると、袋のようなものと、白い牛丼のお持ち帰り用の容器のようなものを持って建物から出てくる。やっぱり麻薬か、と思ったが建物の屋根に「PUNJABI GROCERY & DELI」と書いてある。なんだ、デリだったのかと、恐る恐る近づいてみた。一段低くなった店の入り口から、何者かが出てきた。ターバンを巻いたガタイのいいインド人だった。そうか”PUNJABI”だもんね。そして、今度は、別のインド人が店に入って行く。開いたドアの中はとても明るく、たくさんのターバンを巻いた人が見えた。と、思ったら、後ろから「こんばんは」と声をかけられた。振り替えると、ターバンを巻いた笑顔のインド人が二人いた。軽くビビったが、私に中へ入るように手で「どうぞ」をしていた。意を決して中に入ってみると、なんとそこはカレー屋だった。店内は鰻の寝床のように細長く、入って左手にカレーが入ったケースがあり、右手は立ち食い用のカウンターになっていた。さらに奥にも食べるところがあるようだ。KATZ'Sで飯を喰ったばかりだったが、興味半分でカレーを買ってみることにした。カレーは沢山の種類のがあり、ご飯は別に買えるようだ。豆のカレーとご飯を注文したら、大きいのか、小さいのか聞かれたので、小さいのを頼んでみた。すると、さっき外で見た小ぶりな白い牛丼のお持ち帰り用の容器にカレーを入れ、もうひとつの容器にご飯を入れてくれた。値段は、なんと$1.50!物価の高いマンハッタンでこの安さは驚異的ではないか。店内で食べたが、味は、それなり。激しく美味しい訳ではないが、まぎれもないカレーである。それほどお腹が減っている訳ではないので量が少ないのに好感が持てた。ふーん、こんな店もあるんだーと、場所を覚えてホテルに戻った。(続く)
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マンハッタンデビュー (6日目) [アメリカ]

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早いものですでにマンハッタン6日目。その日、自然史博物館に行かずにメトロポリタン美術館直行。今日は絶対にヨーロピアン・ペインティングのフロアを見ると覚悟を決めた。やはり、人は多かった。そのフロアには、さすがの私でさえ名前を聞いたことがあるゴッホ、ゴーギャン、モネ、ルノアール、、、の名前があった。その絵は中学、高校の美術の教科書で見たことがあった。確かに人が多い訳だ。しかし、アメリカの美術館は太っ腹だ。接近し過ぎなければフラッシュを使わずに写真を撮ってもOKだ。絵を見ては椅子に座って休み、迷って同じ部屋に何度も戻り、カフェテリアでお茶を飲みながら、気が向くと外に出てあたりを散歩して、、、自分のしたいことをしていると早く時間が過ぎてしまう。仕事をしていると時間の進むのがもどかしいほど遅いのに。。。ぼんやりしていたら、閉館時刻ということで出口に向かうように言われた。ありゃ、もう夕方の5時だ。明日も来ればいや、と思いメトロポリタン美術館を出た。そうだ、今日の晩飯はガイドブックに出ていたKATZ'Sでパストラミサンドイッチを喰おう。一旦、ホテルに戻ってホテルにデイバッグを置いて部屋を出た。ホテルを出るとき、ガイドブックを忘れたことに気が付いたが、取りに戻るのが面倒だったので、フロントでKATZ'Sへの行き方を聞いた。しかし、私の発音が悪く、「何だって?」と聞き返されたので、デスクの上にあったメモ用紙に”KATZ'S”と書いたら、「あー、ここからだったらワールドトレードセンターにあるよ」と教えてくれた。「ワールドトレードセンターのどこ?」と聞くと、彼は、電話帳のようなものを取りだして何やら調べて、メモ用紙にKATZ'Sの店名とビルの名前と住所を書いてくれた。そして、あっちに着いてから誰かに聞いたほうが間違いない言った。それもそうだ。ホテルの最寄駅から直通でワールドトレードセンターには行けなかったが、乗り換えが面倒だったので、ワールドトレードセンターの近くの駅で降りて歩いた。しかし、これが意外と遠かった。ワールドトレードセンターの場所は知らなかったが、通りがかりの人に聞きまくったらあっさり辿りついた。ワールドトレードセンターの前で歩いている人に「KATZ'Sはどこですか?」と聞くと、怪訝な顔をされたので、住所を書いてもらった紙も見せた。すると、「あー、ここだよ」とワールドトレードセンターを指さした。私はお礼を言って、ワールドトレードセンターの中に入り、ディレクトリを探したが、KATZ'Sは見つからなかった。レセプションに行き、住所を書いてもらった紙を見せながら「KATZ'Sはどこですか?」と聞くと、「2階」と教えてくれた。なんだ、あるじゃないか、と2階に上がってグルグルと歩きまわったが無い。仕方が無いので、、また人に聞くか思い、住所を書いてもらった紙を取り出すして見ると何かがおかしい。何だろう、この違和感は。再度、紙を良く見ると、そこには”KATZ'S”ではなく”tkts”と書いてある。あれっ、おいらが書いた時はちゃんと”KATZ'S”と書いたのに、フロントのにーちゃんが書いた住所の下には”tkts”の文字が???これで「カッツ」と読むのか?と混乱していたら、すぐ目の前に”tkts”という派手な赤い文字と電光掲示板のようなものが出ているではないか。なんじゃこれは。遠巻きに見ていると、客と思しきカップルがやってきてチューチーしながら電光掲示板を見て窓口で何かを買っているようだ。チューチーすることに意味がある場所なのだろうか。そして次々に大人数で、はたまた一人でやって来ては、窓口でお金を払って何かを受け取っていた。意を決して窓口で何かを買っていた人に、「ここはなんですか?」と聞いてみた。しかし、いきなりやって来て、「ここはなんですか?」という質問もないだろう。聞かれた方も、「ここはなんですか?」にビックリしたようだが、ここは、”tkts”と言って、今日のブロードウェイのミュージカルのチケットを半額で売ってるんだ、と教えてくれた。どうやら、明らかにKATZ'Sではないようだ。恐るおそる、「KATZ'Sはこの近くにある?」と聞いてみると、「KATZ'S?KATZ'Sってデリの?KATZ'Sは2nd Ave.だよ。ここからだと、歩いて30分くらいかな」と親切に教えてくれた。なんと”KATZ'S”と”tkts”を間違えたのである。あの、ホテルのフロントのにーちゃん絶対許さん。しかし、、、オン・ブロードウェーのミュージカルが半額で見れるというのは朗報だ。確かに、落ち着いて見ると電光掲示板には、The Lion Kingとか聞いたことがあるミュージカルの名前と割引率が出ていた。本当だ、50%と出ている。半額だ。もしかすると、不幸中の幸いかもしれない、と思った時には窓口に並んで今晩8時”CHICAGO”のチケットを半額で買っていた。なんという前向きな姿勢だ。だから、私は自分自身が大好きだ。もう一度生まれ変わるなら、また自分がいい。しかし、勢い余ってチケットを買ってはみたものの$50.75。。。オン・ブロードウェーのミュージカルって正規の値段って$100もするんだ。”tkts”はタイムズ・スクエアにあるのがあまりにも有名だ。真冬でもチケットを求めて長蛇の列を作っている。9.11まではワールド・トレード・センターの2階にもtktsがあったのだ。あまり知られていなかったようで、いつ行っても並ばずに50% OFFのチケットが買えて便利だった。でも、ワールド・トレード・センターが崩壊して、”tkts”もなくなってしまった。

午後8時前に49th St.のアンバサダーシアターに到着。周りはミュージカルをやっている劇場だらけ。ライオン・キング、オペラ座の怪人、キャッツ、、、などなど。Theater Districtとは良く言ったものだ。劇場に入って案内された席は1階真ん中のOrchestra Boxの中段くらいで、見やすそうな位置だった。ミュージカルが始まった最初は、セクシーな衣装とダンスに度肝を抜かれた。盛り上がりも凄いと思った。しかし、”CHICAGO”のあらすじを知らず、しかも英語がよくわからないのですぐに飽きてしまった。BLUEMANの方が面白いなー。今度、オン・ブロードウェーのミュージカルを見るときは、せめてあらすじを理解してから来ようと反省した。なお、後に米倉涼子がロキシーを演じたのは、このアンバサダーシアターだった。(続く)
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マンハッタンデビュー (5日目) [アメリカ]

(続き)
マンハッタンに来て今日で5日目。朝はゆっくり起きて自然史博物館に挨拶した後、メトロポリタン美術館に行った。もはや、”通勤”と言っても差し支えないかもしれない。昨日のスタートと同じように、ヨーロピアン・ペインティングのフロアに行ってみたが昨日と同様に混雑していた。サササっと見て、今日は日本美術のフロアに行ってみようと思ったが、なんだかお腹が減って来たので、まだ早い時間だったが昼飯を喰うことにした。ガイドブックに載っていた、グランドセントラルステーションのオイスターバーに行ってみることにした。一旦外に出て地下鉄に乗り、細心の注意を払ったせいか、あっさりグランドセントラルステーションに着いた。駅のコンコースに上がってビックリ。これって、美術館じゃないの?と思ったくらい綺麗でゴージャスだった。コンコースから一つ下のフロアに降りて、フードコートを過ぎるとオイスターバーがあった。ちょうど、開店したところだったので、店内は空いていた。席に案内され、大きくて見やすいメニューを渡された。まずは、オイスターバーに行った人が必ず頼むというマンハッタンクラムチャウダーを頼んだ。生牡蛎はどれが美味しいのかわからなかったので、給仕のおっさんに聴いてみると、BLUEPOINT、BELON、KUMAMOTOが美味いと教えてくれた。ん?「KUMAMOTO?」と聞き直すと、「KUMAMOTO」。。。メニューを見ると、確かに「KUMAMOTO?」と書いてある。日本の牡蛎なのかと聞くと、カリフォルニア産だと言う。日本の品種なのかと、しつこく食い下がったが、わからないと言われてしまった。そんじゃ、とりあえずBLUEPOINT、BELON、KUMAMOTOを2つづつ、レモンをたくさん付けてくれと頼んだ。すぐに、マンハッタンクラムチャウダーが来た。一緒に添えられたクラッカーを全部投入。これは、美味い。こちらに来てから食べたものの中で一番美味い。パンとセサミのクラッカーが山盛りで出てきた。セサミのクラッカーは美味しかったけど、パンはイマイチだったので、セサミのクラッカーばかり食べていた。生牡蛎が出て来たが、どれも美味かった。特にBELON、KUMAMOTOは死ぬほど美味かった。なんだよアメリカ、美味しいものがあるじゃないか。そう言えば、BELONって、ハンニバル・レクター博士がアミューズで喰ってなかったっけ?あまりの美味しさに、あっと言う間に食べてしまった。まだ、全然余裕があったので、BELON、KUMAMOTOを2個づつ追加した。給仕のおっさんに、他に美味しい牡蛎がないか聞くと、今の時期だとMOONSTONEが美味いという。あと、牡蛎じゃないけどクラムが美味いというので、クラムも2個頂くことにした。すぐに追加で頼んだ牡蛎が来たが、あっと言う間に平らげた。そして、デザートにキャラメルカスタードと紅茶を頼んだ。美味かった。久しぶりに腹いっぱい喰った。やればできるではないか、アメリカ。しかし、チップを含めて約$55は食べ過ぎた。。。オイスターバーを出てグランドセントラル駅をもう一度見て、一旦ホテルに戻った。お腹いっぱいになったので、眠くなった。そうだ、昼寝をしよう。小一時間寝て、また、メトロポリタン美術館に行き日本美術のフロアに直行した。日本美術のフロアは人が少なく、とても静かだった。しかし、見て回るうちにエジプト古代美術と同様にビックリ度が増していく。子供の頃に永谷園の名画カードで見た絵や仏像が展示されているのだ。しかも、そのほとんどが日本にあるものとばかり思っていたが、実は違ったのだ。尾形光琳や北斎などは、私ですら知っている。巨大な仏像とか、日本にあったら国宝だよね、と思うようなものがヒッソリと展示されている。そんな、日本の美術品を海外の人たちが熱心に見ていたので、なんだかとても誇らしい気持ちになった。おいらやっぱり日本人。このフロアも意外性の連続だった。灯台下暗し、と言うより無知に近い。

そして、今夜はアスタープレイスにBLUEMANを見に行く予定を入れていた。チケットは日本からインターネットで購入してあった。受け取りは直接シアターのボックスオフィスで受け取るということだった。ちょっと、不安だったので早めにアスタープレイスシアターに行った。ボックスオフィスの女性にチケットを購入した時の書類を印刷した紙を見せるとチケットを渡してくれた。ずいぶんあっさりチケットを入手できたではないか。開演まで少し時間があったので、近くのスターバックスでお茶を飲んで時間を潰した。そして、まだ開演時間には余裕があったが、シアターに行ってみることにした。シアターに着くと、すでに扉が空いていて中に入ることができた。人気がある割に小さいシアターだ。自分の席に座っていると、あっと言う間に席が埋まった。開演時間になると、大音量のBGMと共に3人のBLUEMANが現われて芝居がスタート。BLUEMANのいいところは、言葉を発しないので、英語がわからなくても大爆笑できること。とにかく笑いっぱなしだ。特にツボだったのは、次から次へと管から落ちてくるピンポン玉を観客の一人に押えさせて、BLUEMANの3人が「じゃーねー」といなくなってしまうネタ。とにかく芝居も面白かったが、オフ・ブロードウェイ見たよ、、、という興奮と満足感でいっぱいだったので、シアターを出た後、飲めもしないのにパブに寄った。しかし、ビールを頼んだら、ハーフパイント単位でしかオーダーできない店だった。頑張って飲みきったことは飲みきったのだが、ほぼ泥酔状態でホテルに戻った。(続く)
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マンハッタンデビュー (4日目) [アメリカ]

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翌日、また開館時間に合わせて自然史博物館に行き、バロサウルス親子におはようを言った。そして、今日は自然史博物館は終わり。これから、セントラルパークを挟んで反対側のメトロポリタン美術館に行こうと考えていた。自慢じゃないが芸術には疎い。疎いというか興味がないと言った方が正しい。だた、友人に「興味が無くても、メトロポリタンとMOMAは言っておいた方がいいよ」と言われていたので行ってみることにした。自然史博物館を出て、道路を渡るとそこはもうセントラルパーク。おお、ここがセントラルパークか。道を真っ直ぐ歩いて行くとメトロポリタン美術館が見えてきた。自然史博物館もそうだが、建物が大きくて重厚だ。やっぱり、スケールがでかい。正面に廻ってエントランスをくぐると、たくさん観光客がいた。チケットを買い、フロアプランをもらって中に入る。まずは、ヨーロピアン・ペインティングのフロアに行ってみることにした。さすがに、私でさえ名前を聞いたことがあるゴッホ、ゴーギャン、モネ、ルノアール、、、しかし、人がもの凄く多かったのでエジプト古代美術のフロアに行ってみることにした。エジプト古代美術のフロア行ってみたが、これは凄い。美術音痴の私ですら凄いと感じるのだ。また、美術品の数々も凄いが美術館の中に神殿の柱やスフィンクスとか神殿の一部がドカンとそのまま展示されている。そして、自然光を上手に取り入れた展示がとても雰囲気がいい。何より、広々としたフロアなのに人が少ないのがいい。しかし、エジプト古代美術のフロアを行きつ戻りつしてみていたが途中で迷った。どうやっても、エジプト古代美術に戻れなくなった。諦めてカフェテリアに入って一休み。時計を見ると、お昼も食べずに2時間以上も見続けていた。カフェテリアでサンドイッチを食べたが、やはり高くて美味しくはなかった。昼飯を喰い終わって、また、フロアマップを見ながらエジプト古代美術の場所を目指したらあっさり戻れた。また、同じフロアで遊んでいたら、すでにもう夕方になっていた。明日また来ればいいやとメトロポリタン美術館を後にした。地下鉄でホテルに戻ろうと最寄りの駅から地下鉄に乗ったが、ホテルのあるWest 4th St.には止まらなかった。しかたがないので、14th St.で降りてユニオンスクエアから歩くことにした。ホテルまで歩いて帰る途中でBarnes & Nobleがあったので入って一休みすることにした。以前、シカゴに行った時に入ったBarnes & Nobleが気にいっていた。Barnes & Nobleはなんんとも自由な本屋だ。本を買う前の”立ち読み”とか言うレベルではなく、みんな地べたに座って本を読んでいる。しかも、スタバなどのカフェ併設のところは、買ってもいないのに本を何冊か持ってカフェに入れる。アメリカらしいと言えばアメリカらしい。おいらも、お茶でも飲みながら本を立ち読みしよう。あーあ、幸せだ。(続く)
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マンハッタンデビュー (3日目) [アメリカ]

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一旦ホテルに戻り、晩飯を喰うことにした。さすがにマックのチーズバーガーは飽きたので、ホテル近くのデリでカレーとパン、そしてSnappleを買い部屋で食べた。その後、ホテル近くのカフェでケーキを食べてお茶を飲んだ。ケーキは大きくて美味しかった。無駄に使える時間がたっぷりあるのはいいものだ、とこの時に気が付いた。それはその後、無駄な時間を消費するために海外を旅するようになったきっかけだった。そして、ホテルに戻ってフロントにいた男性スタッフに「このあたりで、今から予約なしで、安くGigが聴けるクラブとかない?」と聞くと、「ジャズだったらグリニッジビレッジにあるSmallsは予約がいらない上に安いよ。あとは、Twiloというチェルシーにあるハウス系のクラブが流行ってるね。Twiloが盛り上がるのは0時を過ぎてからだよ」と教えてくれた。Twiloと言えば日本でも有名なクラブだ。おお、それはいい。SmallsでGigを聴いてから、Twiloで踊るというのもマンハッタンっぽくてかっこいいではないか。

フロントのスタッフにSmallsとTwiloへの行き方を書いてもらってホテルを出た。書いてもらった地図を見ながらSmallsに向かったが道に迷った。通りを歩いている人に地図を見せてSmallsへの行き方を聞いたら、地図が間違っているらしく、行き方を丁寧に教えてくれた。教えてもらったとおりに行くと、あっさり到着。地図ぐらいちゃんと書けよ。見過ごしてしまいそうな小さな手書きの看板に「Smalls」と書いてあったので目的の場所だとわかった。階段を降りると人が階段の途中まで並んでいた。並んでいる間にすでに音楽が聞こえてくる。テンションが上がってくる。少し待つと店内に入ることができた。店内は本当に”Smalls”だった。店員に$10.00のミュージックチャージを払い、空いている席を探したが、どこも席が埋まっていた。1つだけ、隅っこの席が空いていたので、すぐに座った。意外とついているかも。演奏者は見えなかったけど演奏は聞こえる。飲み物を頼みたかったのだが、周囲を見回してもオーダーを取りに来る気配がない。さらに周囲を見回すと、椅子5~6脚ごとに小さなテーブルがあって、その上に飲み物らしき瓶が数本置いてある。そして、客はそれを自分でグラスに注いで飲んでいる。セルフサービスなのかと思ったが、システムがわからないので近くの椅子に座っていた女性に「飲み物ってどうやってオーダーするんですか?」と英語で聞いたら、「テーブルにある飲み物は無料みたいですよ。飲み物は、基本、持ち込みみたいですけど」と日本語で教えてくれた。なんと、その人は日本人だった。少しだけ話をすると、彼女も観光でマンハッタンに来ていて、ガイドブックに書いてあったこのジャズクラブに来てみたのだとか。若い女性の一人旅は、何だかかっこいいぞ。確かに良く見ると、日本人がポツポツいた。しばらく演奏を聴いていたのだが、私の前を頻繁に人が通ることに気が付いた。一応、見えにくいとは言え、前方の演奏者の方を向いていたので頻繁に前を通り過ぎられると気になってしかたがない。ふと横を見ると、そこはトイレの入口だった。なんと、トイレの入り口に座っていたのか、と思ったら急に芳香剤の臭いがするような気がした(気のせい)。隣の女性も、そこは気になっていたようで、私がトイレの入り口に気が付いたことに気が付いたようで、「気になりますよね」と笑っていた。しばらくすると、少し前の席が空いたので、横の日本人女性に指で空いた席を指さすと、彼女が頷いたので席を移った。トイレの芳香剤の臭いが若干軽減した(ような気がした)。さらに、演奏を聴いていると、前方の大人数のグループが席を立ったので、横の日本人女性に「前の席に移ろうと思いますが、(一緒に)移りませんか?」と声をかけて、一緒に素早く前方の席に移動した。そこは、観客の頭越しに演奏者が見えるくらいステージに近い席だったし、もう芳香剤の臭いはしなかった。これでステージが見える。ステージを見るとピアノとドラムとベースのトリオだった。ベースを弾いている人は色が黒かったがアジア系、日本人のようにも見えた。つくづく思ったのは、自分は日本人だなーということ。欧米人はリラックスしていて、声や拍手などの合いの手を入れるのが上手い。私はというと、黙ーって演奏を真面目に聞いていた。たまーーーに、青山のBLUE NOTEに行ってもそうだしなー。 かれこれ2時間近く聴いていただろうか、どうやらこのトリオの演奏は終わりのようだった。ステージの上の演奏者たちがバックステージに帰る時に、色黒のアジア系のベーシストが「今日はどうもありがとう」と日本語で言った。やっぱり、日本人だったんだ。やっぱり、マンハッタンは日本人が多いんだな。隣の日本人の女性に「お茶でもどうですか?」と聞いてみたが、「もう遅いので今日は帰ります」と言って足早に店を出て行った。私のニューヨークでの恋の始まりが終わった。

私も店を出て、チェルシーまで歩いてTwiloに行ってみることにした。フロントで書いてもらった地図でTwiloを探したが見つからない。またかー。地図のクオリティ悪杉(w。あたりを、グルグル回って探していたら、もの凄い行列を発見した。これだっ!しかし、凄い行列。これは、ダメだと思い、Twiloに入るのを諦めた。さーて、今日は帰ろう、とホテルに戻って眠った。(続く)
タグ:Twilo Snapple Smalls
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マンハッタンデビュー (3日目) [アメリカ]

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マンハッタン3日目、朝食を食べ過ぎたのでユニオンスクエアのグリーンマーケットまで散歩した。マーケットは、店ごとにテントで区切られていて、パン、野菜、果物や肉、魚などを売っていた。その中に「Hot mulled Cider」という看板を出しているテントがあった。大きなウォータージャグがあって、蛇口から温かい液体を紙コップに注いで売っていた。1杯$1.00。私は店員に「Hot mulled Ciderって何?」と聞くと、「アップル・サイダー」と答えた。そうかそうか、暖かい林檎のサイダーなのか。珍しいから試してみることにした。飲むと、甘いリンゴジュースのような味で美味しかったが、炭酸のシュワシュワがない。ただ、ワインが入っているようだった(日本に帰って、友人に「アップルサイダーを飲んだが炭酸じゃなかった」と言ったら、英語の「Cider」はリンゴジュースのことだよ、と笑われた)。それからまた、自然史博物館に向かった。今日は、各フロアをゆっくり見ると決めていた。自然史博物館、というかアメリカの美術館、博物館は、とにかく見る側にし親切で優しい工夫がされている。無料でもらえるフロアプランは英語やスペイン語だけでなく日本語まで揃っている。さらに、耳の不自由な人用の文字を使った電話機があった。TDDという電話機で、メールやSMSが登場した今ではなくなってしまったと思うが、随所にさまざまな配慮が施されていた。日本語と英語のフロアプランをもらって、まずは4階に上がって恐竜のフロアを見て回った。じっくりと見ると結構時間がかかる。セントラルパークが見えるタレットで一休み。朝日に輝くセントラルパークとマンハッタンの摩天楼というセットが無料で見れた。また、恐竜を見て回るとお昼を過ぎていたので、地下のカフェテリア「Diner Saurus」に行ってみたが、地下全体が閉館していた。そうか、それで昨日は自然史博物館の地下に直結している地下鉄の出口から出れなかったのか。それでは、と一旦外に出てガイドブックに出ていたベーグルなるものを食べに行くことにした。私はそれまで、ベーグルと言うものを食べたことがなかったが、ガイドブックの写真は紛れもないただのパンだった。店に入ると、普通のこぎれいなデリだった。なるほど、ケースの中にベーグルと思しきものが何種類かある。店員に、「これをくれ」と指をさしながら言うと、「1個か?」と聞かれた。結構大きなサイズだったので1個でいいと言うと、今度は「どうする?」と聞かれた。トーストとかにして食べるのかと理解し、「トースト」と答えると、店員は怪訝な顔をしたものの「OK」と理解してくれたようだった。そして、紅茶を頼んで店の中で食べることにした。ベーグルは確かに美味しかったが、なんとなく物足りない感じがした。他のお客さんが注文するのを店内で眺めていたら、ベーグルは、チーズをたっぷり塗って、いろいろなものを大量に挟んで食べるようだった。トーストなどする人はいなかった。店員が「どうする?」と聞いたのは、ベーグルに何を挟むかという意味だったことに気が付いた。とはいえ、結構お腹にたまったので、自然史博物館に戻った。1階のバロサウルス親子に「ただいま」の挨拶をして、ゆっくりと3階から見始めた。3階と2階を見終えたので今日は見学終了。しかし、見飽きないー。明日も来るぞ。(続く)
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マンハッタンデビュー (2日目) [アメリカ]

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次の日も自然史博物館に行ったが、ホテルのスタッフが79th St.の駅は自然史博物館に直結しているからそっちから行く方が楽だと教えてくれた。West 4th St.から79th St.に行くには乗り換えが必要だったが、果敢にも59th St.のコロンバスサークルで乗り換えて79th St.から行くことにした。奇跡的に乗り換えに成功し79th St.に着いたのはいいが、自然史博物館に直結している出口は工事中で入れなかった。地下鉄とは相性が悪いようだ。仕方がないので別の出口から出て自然史博物館に向かった。昨日と同じようにセントラルパーク側のエントランスから入って、バロサウルスのお母さんの正面に向かうと、親子が「おはよう」と言っているように思えた。昨日はここで帰ってしまったが、滞在中は毎日ここに通うつもりだった。中に入るには入場券を買わなければいけないのだが入場料が$20もする。入場券を買うためにチケットブースに並んで一週間毎日通うために割引がないか聞いてみた。すると、メンバーシップに参加すると1年間入場料無料になると教えてくれた。じゃーそれちょーだい、と言うとチケットブースの横に行けと言われた。チケットブースの横の机のところに行くと、男性が机の下に頭を突っ込んで何かやっている。私が「Excuse me」と言うと、その男性は机の下から顔を出した。彼は私の顔を見て「日本の方ですか」と流暢な日本語で答えた。あれっ、日本人?と私がビックリしていると、「あっ、私日本人です」と笑いながら言った。彼は、自然史博物館で働く学芸員なのだが、今日は当番でメンバーシシップの受付をしていると言っていた。なんという偶然。メンバーシップに申し込みたいと言うと、Individualで1年間$45掛かるがいいかと聞かれた。入場料が1日$20だから3日通えば元がとれるではないか。申し込みをお願いすると、私の代わりに申込書に必要事項を全部書いてくれた。住所と氏名だけ私が書き込んで申し込みは終わり。これはお得。丸腰だと1日$20のところ、$45で一年間無料の上、いろいろな割引券、雑誌やグッズなどがもらえた。今回はメンバー用カードがないので申込書の写しを見せれば博物館に入れる。メンバー用カードは出来上がり次第郵送する、、、などいろいろ親切に教えてくれた。こんなの、英語だったら全然わからなかったので助かった。博物館は楽しかった。一通りサッと見ても丸一日がかりだった。恐竜のフロアは興奮した。青白いライトに浮かぶ有名な巨大なシロナガスクジラの模型にも心惹かれた。昼食は博物館のカフェで食べたが、やっぱり高くて美味しくなかった。結局、朝から夕方まで自然史博物館で過ごしたことになる。(続く)
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マンハッタンデビュー (1日目) [アメリカ]

マンハッタンデビューは比較的遅かった。ちょうど20世紀も終わろうかという頃だった。年末・年始の休暇が取れなかったので、2月に休暇をまとめて取ってマンハッタンに一人で出かけた。思えばマンハッタンデビューは初めての一人旅でもあった。もうひとつ言うと自分で国際線の航空券を予約して購入したのも初めてだった。つい昨日のことのようだ。

飛行機がニューヨークに着陸する直前には自由の女神とマンハッタンの摩天楼が見えて感動のあまり、おしっこを洩らすと思って窓側の席にしてもらったが見事に裏切られた。そんなものは微塵も見えなかった。そもそも、ニューヨークJFK空港がマンハッタンにないことすら知らなかったのだから。。。もう、15年近く前のことで記憶も薄れてきたが、空港からマンハッタンまでのタクシーは30ドルのフラットレートだったような気がする。だいたい、タクシーに乗った時に運転手に「フラットレート」と言われて何のことかわからなかった。泊まったホテルはWest 4th St.にあるワシントン・スクエア・ホテル。古いホテルで、狭い部屋だったが意外と高かった。地下室のようなところがカフェになっていて、朝食はそこで食べることができた。ホテルは、名前の通りワシントン・スクエアのすぐそばだった。近くには、ニューヨーク大学があり、グリニッジ・ビレッジやソーホー、チェルシーにも近かった、、、とは言うものの、その頃、グリニッジ・ビレッジは映画のタイトルで聞いたことはあったが、ソーホーは知らなかったし、チェルシーは明治が出していたお菓子しか知らなかった。寒くて雪が積もっていたが嬉しくて意味もなく街中をウロウロ歩き回っていたのが懐かしい。まだ、9.11の前でセキュリティが緩く、ニューヨーク大学などはセキュリティチェックなしで、あちこちに入って行けた。キャンパスにメグ・ライアンとスパイク・リーを探したが、いる訳がなかった。この頃、レストランに行き慣れてなかったせいか、食事はいつもホテルの近くのマクドナルドのハンバーガーだった。少し慣れてきてから、これまた近くのインド人が経営するデリでおかずを選んでパックに詰めて、パンとSnappleを一緒に買って食べた。日本に帰る間際になってようやくレストランに行くようになった。リトルイタリーにはイタリアンの店が沢山あったので適当に入ってみたが高くて不味かった。とにかく、見るもの、聞くもの、食べるもの、感じるもの、、、何でも興味があった。私が泊まったホテルの周囲には不思議で面白い建物がたくさんあった。花屋が沢山あって老若男女を問わず花を買っているのに驚いた。ハドソン川のあるウエストサイドまで歩き、そこから反対のイーストサイドまで歩いてみたりした。ウエストサイドまで歩いて行く間に美味しそうなチョコレート屋、パン屋、ケーキ屋などを見つけたので目を付けておいた。イーストサイドのアルファベットアベニューは、まだ少し物騒な感じが残っていた。冷たい雨が降ってきたので足早に歩いた。決してあたりが物騒で怖かったからではない。

マンハッタンに行った一番の目的は自然史博物館に行くことだった。マンハッタンに着いた日の午後、ホテルから地下鉄で自然史博物館に行くことにした。当時の地下鉄はメトロカードが導入され始めた頃だったが、トークンが使えた。まだ、運賃は$1.50だった。West 4th St.から地下鉄に乗って自然史博物館のある81st St.で降りようとしたが通り過ぎて降りれず、125th St.と3桁の丁目まで行ってしまってビビった。どうやらそれは、81st St.に止まらないExpressだったようだ。The Mapと睨めっこしながら81st St.に戻ろうとしたが、何故かまたExpressに乗って、59th St.まで戻ってしまった。われながらトホホ。今度は、アップタウンに行くLocalに乗って81st St.で降りることができた。セントラルパーク側のエントランスを入ると写真で見た体長27mの草食恐竜のバロサウルスとそれを襲おうとする肉食恐竜アロサウルスの骨格模型に圧倒された。近づくと説明のプレートに「Barosaurus defends her young.」と書いてあった。バロサウルスが彼女の子供を守るためにアロサウルスの襲撃を迎え撃とうとしている構図だとわかった時、何故か涙が出てきた。きっと、神経が昂ぶっていたんだろう。壁にはポーツマス条約締結の時の小村寿太郎の絵が描かれていたりして、その場を離れることができなかった。結局、その日は入場料を払う必要の無いエントランスだけで満足し、3時間ほど時を過ごして博物館を後にした。(続く)
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