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北京の秋 [中国]

「北京の秋はとてつもなく美しい」と北京生まれの友人からよく聞かされた。日本では見られないような澄み切った青い空が広がる季節だという。日本の秋だって綺麗だが。。。だから、という訳ではないが、未だ見ぬ北京に行こうではないかと勇んで出かけた。今から10年近く前のことだ。北京に行った本当の理由はB747SPという飛行機に乗るため。今は旅客機としては絶滅危惧種としてレッドリスト載ってしまったB747SPは、今は亡きパンナムが「ニューヨークから東京まで直行便を飛ばしたいっ」とボーイング社に無理を言ってB747をベースに作らせた機材だった。”必要は発明の母”なのだ。当時の旅客機はニューヨークから東京まで直行することができず、給油のため一旦アンカレッジに寄っていた。B747SPが導入されてニューヨークから東京まで直行できるようになりメデタシメデタシ、、、になるはずだったのだがそうはいかなかった。B747SPは普通のB747の機体を10mくらい短くして軽量化し、軽くなった分、燃料を増やして飛ばすことでニューヨークから東京までをノンストップで飛べるようにしたのだった。機体を10m短くしたことで必然的に座席数が減る→航空会社としてコストパフォーマンスがよろしくない→オイルショックにより燃料が高騰→燃費の良い後継機種が出てきちゃった→他の機材でもニューヨークから東京まで無着陸飛行が可能、というような悪循環を経て経済性の悪いB747SPは絶滅の一途をたどっていった。そこで、早いうちにB747SPに乗っておかねば~と軽ーく考え、B747SPを旅客機として運航している航空会社を探してみると、なんとイラン航空とシリア航空しかなかった。そうかー、イランとかシリアとか行ってみたい気はするが、行くのが面倒臭そうな上に、いつも”戦争”、”紛争”、”危機”の二文字が新聞の見出しを賑わしている国だもんなー。母親に言ったらきっと気絶するから、と乗るのを諦めかけていた。しかし、イラン航空のサイトを調べてみると、B747SPは成田からテヘランまで運行していて、その便はなんと北京経由、しかも成田から北京までの航空券が購入できるのだ。これはいいではないか!決まりだ、、、と思ったのだが、良く見てみると、B747SPで北京を経由する便は毎週木曜日の往復一便しかなかった。と、言うことは、最短でも木曜日に成田を出発して翌週の木曜日に北京から帰ってくるスジュールになる。そんな急に一週間も会社を休めるだろうか、と心配したがあっさり休みが取れた。後は手配して飛ぶだけである(母親には航空会社名を臥せて北京に行くことだけを告げたのだが、泣きそうな顔をしていた。。。)。当日、B747SPに乗れるのと”イラン航空”に乗れるので興奮しまくりだった。B747SPは左右の斜め前から見るとブサ可愛い。機内は他のB747と変わらない。乗客は明らかにイラン人と思しき人たちばかりで日本人はまばら。と言うか、乗客自体がまばらだった。私の席は非常口席だったが、隣の2席は空席だった。CAさんにとても興味があったのだが、思った通り黒いベールを頭から被っていて、東京の水道橋や新宿で見かけるイラン人と同じだった。年齢層はやや高めだが、みな綺麗で親切なCAさんばかりだった。一人、日本人の女性のCAさんが乗っていたが、とても綺麗なCAさんだった。日本人のCAさんに「頭から被っているベールは民族衣装なんですか?」と聞くと「ヒジャブ」と言い、民族衣装などと生易しいものではなくイスラム教徒にとって宗教上欠かせない衣類なのだと教えてくれた。その、ヒジャブを被った日本人のCAさんは、なんとなくアラブの女性のように見えてとても素敵だった。CAさんは女性よりも男性の方が多かったので、必然的に毛むくじゃらの男性CAのサービスを受けることが多く、ちょっと複雑な心境だった。機内食は一応、肉と魚から選ぶことができ、味は悪くなかった。機内でもアルコールはご法度なのだが、私は酒を飲まないので全然問題なかった。5時間弱のフライトは非常口席だったこともあり快適そのもの。帰りのフライトは出発が大幅に遅れたものの、非常口席を取ることができたので、行きも帰りも快適なフライトだった。

結局、北京には一週間滞在したのだが、行きと帰りの飛行機にすべての精力をつぎ込んでしまったため、北京のことはよく覚えていない。有名な”盧溝橋の秋月”も見に行ったが、それよりも屋台で売っている梨、リンゴ、甘栗、落花生、胡桃、、、などの果物や木の実が安くて美味しかった記憶が鮮明に残っているだけだ。今になって思えば、すでにその頃から北京の大気は汚染されていたのかもしれない。「秋高気爽(秋の空が高く、空気が爽やかで清々しい)」と言われた北京の美しい秋はもう見ることはできないのだろうが、B747SPに乗れたから良しとする。
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車優先 [中国]

2003年、初めて中国に行った。正確には”香港とマカオ”を除く中国。場所は、上海。会社の同僚やその家族と連れだって行った。手配は同僚の女性が全部やってくれたので楽ちんだった。当時、中国は観光と言えどもビサが必要だった。その頃、中国、特に都市部は猛烈に近代化していた時期だ。上海の浦東国際空港は物凄く近代的で、リニアモーターカーはまだ営業はしていなかったが、確か試験運転をしていたと記憶している。空港からタクシーに乗ったが、物凄いスピードで上海まで走った。市街地に入ってもスピードを落とさず、人が横切ろうものならスピードを上げ、意図的に轢き殺そうとしているとしか思えない運転だった。助手席に座った私は度肝を抜かれっぱなしである。なんでも、中国では、日本の”道路交通法”にあたるものが無く、中国人の常識、宗教観、心情、および過去の慣例として車優先になっているらしかった。車に轢かれたら轢かれた方が悪いということのようであった。「だから、道路を渡る時は気をつけないとダメ」と言われた。なんという国に来てしまったのだ。それって、文明が無いってことじゃないのか?っと軽く慌てたが、タクシーは事故を起こさず無事(?)にホテルに到着した。ホテルにチェックインすると、すぐに街中に繰り出すことになり、ホテルでタクシーを捕まえてもらって街中に出かけた。今度のタクシーは、さきほどの空港からのタクシーの比ではない粗っぽい運転。人通りの多い市街地だが物凄いスピード、しかもカーブではタイヤを鳴らしながら走っている。運悪く、助手席に座ってしまった私は冷静を装ってはいたもののビビりまくりである。目的地に到着し、ようやく恐怖から解放された。タクシーを降りて歩行者になると、今度は一転して轢かれる恐怖に襲われる。なかなか、道路が渡れない。歩行者がいても車がどんどん交差点に突っ込んでくる。信号があっても気が抜けない。しかしローカルの中国人はいとも簡単に猛ダッシュで渡っている。オリンピックやアジア大会で金メダルの獲得数が圧倒的に日本より多い秘密は、このあたりにあるのだろう。そして、今度は晩飯を食べに行くので、またタクシーに乗ったのだが、今までのタクシーよりもさらにスピードを出すタクシーだった。助手席に座った私は「やめてくれー」と言ったが、日本語なので運転手には通じない。レストランに着いてタクシーを降りると、足を踏ん張っていたせいか、腿が軽く筋肉痛になっていた。そして、ふと気が付いたのだが、いつも助手席に座っているのはおいらだ。同行のみんなに「帰りは誰か助手席に乗ってね」と言うと、彼ら、彼女らは声には出さなかったが、「あっ、気が付いちゃったのね」という残念な雰囲気を体全体から醸し出していた。何だ何だ、こいつらみんな確信犯だったのか。悔しいなー。結局、上海でタクシーに乗った時は常に私が助手席に座るはめになった。一度確立してしまったヒエラルキーは簡単には変えられないのである。

その後、中国で日本の道路交通法にあたる法律が”新しく”出来て、歩行者優先が”初めて”明記されたと聞いた。
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