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空の運動会 [アメリカ]

もう、随分と昔のことだが、ラスベガスに行った。サンノゼでラスベガス行きの飛行機に乗り継いだのだが、何かトラブルがあったようで飛行機はガラガラ。乗客は私の他に年配のアメリカ人夫婦と子供連れの4家族だけ。子供連れの家族はアメリカ人の家族とイギリス人の家族だった、、、はず。そんなガラガラな状態なのに、シート配列は2-3-2で通路が2つあったので、比較的大型の飛行機だった、、、はず。なんせ、ずいぶん昔のことなので、記憶が薄れてしまい、全部”はず”(w。座席は替わり放題、座り放題。家族連れの子供たちは、子供同士でキャッキャッ言いながら遊んでいた。当時はセキュリティがゆるゆるだったので、パーサーが来て、子供たちに操縦席を見せてあげると言うと子供たちは、はしゃいで大騒ぎだった。そのパーサーに私にも見せて欲しいと言うと、「どうぞどうぞ」と案内してくれた。操縦席のドアを開けるとキャプテンとコーパイがこちらを振り返り、笑顔で「Welcome!」。子供やその両親たちはとても興奮していたが、それ以上に私が大興奮だった。我々はキャプテンとコーパイの帽子をかぶらせてもらい、私はダメだったが子供たちは操縦席に座らせてもらったりして狭い操縦席は賑やかだった。そして、座席に戻っても興奮冷めやらない子供たちは、両親に今見た光景を早口で捲し立てていた。すると、さっきのパーサーが来て、子供たちを集めて何やら話をすると、子供たちがまたまた大声で騒ぎだした。そして、パーサーが私のところにもやって来て、「今から、通路で駆けっこをするので一緒にどうだい?」と声を掛けた。あまり乗り気はしなかったのだが、操縦席を見せてくれたこともあり、この「レクリエーション」に一役買うことにした。小さな子どもたちに混ざって、二列ある通路で駆けっこをした。スタートラインの反対側にはパーサーとCAさんがいて、「君の方が早かった」とか「同時だ」とか適当に順位をつけていた。勝っても負けても、お菓子や航空会社のボールペン、そして小さな飛行機の模型などを賞品として配っていた。さしずめ、空の運動会と言ったところか。アメリカの航空会社らしいと言ってしまえばそれまでだが、とてもいい経験だった。大人の私がそう思うのだから、子供たちや、その親たちはさぞや喜んだことだろう。今と違っていい時代だった。しかも、日本と世界との距離は今よりもっと遠かった気がする。
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はじめての海外旅行 [アメリカ]

初めての海外旅行はハワイ。初めての海外旅行の王道だ。仲の良かった友人と4人で行ったハワイが最初の海外旅行だった。当時、1ドルは145円とか150円、、、だったと思う。それでも、1ドル360円の固定相場制だった時代に比べると円高だと言われていた。ハワイに行く前に4人で丸井に行き、海外旅行に必要な物資を購入した。みんなで、同じブランドのアロハシャツを購入した。私は海外旅行に行くような大きなバッグを持っていなかったので、巨大なSASの防水バッグを買った。このバッグば奇跡的に今も現役で活躍している。あとは、レイバンのサングラス、ウェイ・ファーラーを買った。このウェイ・ファーラーも今だに現役。そして、Body Gloveの派手派手の海パンとビーサンを揃えた。さすがに、これは、もうどこかにいってしまい既にない。万全の準備を経て我々はハワイのホノルルに向かった。

そして出発の日、夜の遅い時間に成田空港を出発した。そもそも国際線の飛行機に乗るのが初めてだから、当然、時差というものも初めての経験だった。しかも、”マイナスの時差”というのが頭ではわかっているのだが、実際のところよく理解できていなかった。6時間のフライトがとてつも長く、時間が全然進まなかった。ホノルルに到着したのは早朝。酷い時差ボケにやられてフラフラだった。入国審査では必ず英語で質問されると聞いていたので、事前に英語の質問と回答を暗記してきた。「ヨーシ、来るなら来てみろ」と入国審査官の質問に全神経を集中したが、何を言っているのかわからない。覚えてきたことと違うことを聞かれていることがわかり、一瞬パニックに陥った。ヤバい、と思って立ちすくんでいたら、隣の窓口で入国審査をしていた友人が「日本語、日本語」と私に言っているではないか。私の入国審査官が言っていることを、もう一度良く聞いてみると「モクテキハ」と言っている。あーっ、日本語で「目的は」って聞いていたのか。あせっていた私は、日本語の質問に対して、何故か暗記してきた英語で、「sightseeing」と答えた。そして、入国審査官の日本語の質問「ナンニチデスカ?」に、またまた何故か英語で「One week」と答えて終了だった。これが、私のはじめての海外旅行、そして、初めての外国との遭遇だった。あれから四半世紀が過ぎ、友人3人と私はオッサンになり果てた。
タグ:ハワイ
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アメリカで一番古いハンバーガー屋 [アメリカ]

ニューヨークの北、グランドセントラル・ステーションから電車で小一時間のコネチカット州ニューヘイブンに美味しいハンバーガー屋がある。アメリカで一番古いと言われている二つのハンバーガー屋のうちの一つらしい。場所は、かの有名なイエール大学のすぐそばにある”Louis Lunch”というハンバーガー屋だ。グランド・セントラルからメトロノース鉄道に乗ってニューヘイブン・ユニオン駅で降り、歩くこと15分くらい。イエールのキャンパスのすぐ近くだから行けばすぐにわかる場所にある。それはかわいらしい店で外見はとても小さい。店内はテーブルで食べている人、持ち帰り用を待っている人でギュウギュウ詰めだ。観光客らしき人が多い印象だ。日本人(韓国人?)も見かけた。奥に注文するカウンターがあり、カウンターのさらに奥では、おばあさんが不思議な機械でパティを焼いていた。珍しく、パンはバンズではなく2枚のトーストした食パンに挟むタイプで、小ぶりなハンバーガーだ。注文するカウンターの上の看板に「Don't even ask for ketchup!」と書いてあったのがアメリカらしくなくて笑えた。世界で一番ケチャップを消費してるくせに(w

一つ買ってみることにした。ここのハンバーガーには玉葱が入っているので抜いてくれと頼んだのが特に怒られることはなかった。ただ、いかんせん高い。正確な値段は忘れたが$5くらいだったと思う。イエールのキャンパスのベンチに座って食べたが、味は激ウマ。とにかくパティが最高。肉の味自体が美味い。しかも、ちゃんとミディアムレアになっていたのには驚いた。アメリカ人が肉をミディアムレアに焼けるとは知らなかった。ちなみに、アメリカで食べたハンバーガーの中で一番美味いハンバーガーだ。いつも食べているハンバーガーとは全然違うものだった。これが、どうやってマクドナルドのハンバーガーに進化したのか不思議でならない。もうひとつ買いに店に走ったが、店はもう閉まっていた。まだ、午後の4時を過ぎたばかりなのに。。。この店は、日曜と月曜が定休日、火曜と水曜がお昼から夕方まで、木曜~土曜が深夜まで営業と、めちゃめちゃ変則的なのだ。しかも、大学の近くという場所柄、一ヶ月くらいの夏休みがある。知らずに行って、何度、食べ損ねたことか。。。
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マンハッタンデビュー (最終日) [アメリカ]

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ついに日本に帰る日が来た。あっと言う間の10日間だった。帰りたくない気持ちが80%、一刻も早く帰りたい気持ちが20%。早く帰りたい気持ちが20%もあったのは、早く日本に帰って、誰かに「楽しかったよ」と話したかったのかもしれない。また来るぞ。昂ぶる気持ちを抑えながら、私は機上の人となった。しかし、やはり帰りの飛行機からも自由の女神と摩天楼は見えなかった。

先日、部屋を整理していたら、初めてニューヨークに行った時に手に入れたいろいろなものが出てきた。ボーディングパスの半券、ニューヨークのタクシーに乗る時の注意書き、The Map、美術館や博物館のフロアマップ、オイスターバーのメニュー、、、などなど。どれも楽しい思い出が詰まったものだった。出てきたものの中で意外だったものが二つ。ひとつは、マンハッタン滞在中の日記。日記と言うか、何月何日の何時、どこに行って、何を見て、何を食べ、何を買い、それがどうだったか、、、など、くだらない事をビッシリ書いた記録だった。日記など小学校の夏休みの絵日記しか書いたことがなかったと思っていたが、こんなところでも書いていたのだ。もうひとつは、ホテルの請求書。何故か、毎日、ホテルから電話料金を請求されていた。全部ローカルコールで同じ電話番号。なんだったっけなー、と一生懸命思い出していたら、PCのインターネット・アクセスだった。当時、ホテルにはLANの設備などなく、Wi-Fiに至ってはその存在すら知らなかった。インターネットアクセスには、まだまだモデムを使用するのが一般的だった。そんな品々を見ながら楽しかった日々に想いを馳せた。最近は旅行に行っても、写真を撮ったり、記念の品を残すことをしなくなっていた。”また行けばいい”と自分に言い聞かせていたが、やはり旅の思い出を振り返るのは楽しいものだ。自分で書いた”日記”を読み返すと、毎日、興奮していた様子がうかがえる。あの時の私は、よほど嬉しかったに違いない。パスポートを見返してみるとニューヨークのスタンプは21個あったが、2010年2月が最後だった。なんだか、急にニューヨークに行きたくなってきたなー。(おわり)
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マンハッタンデビュー (9日目) [アメリカ]

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9日目。この日は自然史博物館には行かず、散歩がてらお土産を買いに行くつもりだった。遅く起きて、朝飯を喰い、そして二度寝。起きてから5ブロックほど歩いて、いつものカフェに行った。ホットチョコレートを頼んだら、「いつも、それだね」と言われた。ビックリして顔を上げると、店のおじさんが笑っていた。どうやら顔を覚えてくれたようだ。なんだか、この街に馴染むことを許されたような気がした。良い街だなー。特別に何があった訳ではないが、毎日、地下鉄に乗り、恐竜の親子を見て、ボーっとお茶を飲んだりご飯を食べたりしながら、一見無駄な時間を過ごすのがとても大切に思えた。ちょっと神経質でクールなニューヨーカーも素顔は意外と優しくて親切だ。できることなら、いつか暮らしてみたい。初めてそんなことを思った街だ。カフェを出て、ここに来た初日に目を付けておいたウエストサイドのチョコレート屋に行ってみた。甘いモノ好きの両親には、是非、激甘のチョコレートで死んでもらおうと思った。その、レンガ作りの古めかしいチョコレート屋はなんだか可愛らしい。LI-LAC CHOCOLATESという名前のチョコレート屋だった。イートインなどはなく、ドーンとチョコレートだけを売っている。しかも、チョコレートは巨大なバーやポンド単位の量り売りだ。なんと潔いチョコレート屋だ。ショーケースの中を覗いていると、「試してごらん」と大きなチョコレートの一かけらをくれた。ヨーロッパのチョコレートや日本のチョコレートの方が美味しいのはわかっているが、アメリカで喰うんだからアメリカのチョコレートがいいに決まってる。Pecan Nutsのミルクチョコレートが美味しそうだったので、味見できるか聞いてみたら、またまた、大きめのかけらをくれた。おっ、これは美味い。これにしよう。しかし、いくら甘いものが好きな両親でも、1ポンドは多すぎるだろうと思い、1ポンドを半分づつに分けてくれないかと頼んでみたら、あっさりOKだった。値段は$18.00.もはや、この値段が高いのか安いのかわからなくなったので思考を止めた。一旦、ホテルに戻って荷物を置いて、またホテルを出た。そして、目的もなくアップタウンに向かって歩いた。この街は1ブロック歩くと丁目が1つづつ増減するのがいい。調子に乗って20ブロック歩いてしまった。もう、マジソン・スクエア・ガーデンのすぐ近くだ。大きな地下鉄の入口には”PENN STATION AMTRAK”と書いてあった。「地下鉄だけじゃなく、AMTRAKの駅もあるのか」と思い、降りてみることにした。地下に降りてびっくり。大きな駅で、物凄く人が多い。そして、駅の中には、アイスクリームやピザ、ミスタードーナツ、ダンキンドーナツ、そしてサンドイッチや飲み物、さらには本やお土産を売る店がたくさんあった。大きな商店街だ。アイスクリームを買って、食べながらグルグル歩き廻った。Amtrakのコンコースは地下1階にあった。大きな電光掲示板で行き先を見ていると、Boston、Washington、Torontoと表示されていた。えっ、トロントってカナダの?カナダまで行ってるんだ。ふーん、とさらに歩き回った。そして、それは運命的な出会いだった。初めて見るドーナツ屋を発見した。みんな、1個、2個などという”みみっちい”買い方ではなく1ダーズ、2ダースとダース単位で買っている。美味しそうなので買ってみることにした。「ドーナツを1つください」、というと、「1個?」と嫌な顔をされた。驚いて、「いや、2個」というと、今度は「そんだけ」と言われた。仕方がないので「6個」と答えると、「フン」と鼻でせせら笑われた。そして、今度は「どのドーナツ?」と言われた。どれが美味しいのか聞いてみると、”Original Glazed”という溶かした砂糖がコーティングされたドーナツだった。そう、それはKrispy Kremeのオリジナル・グレイズドを初めて見た瞬間だった。一目惚れだった。店員がその場で1個サービスしてくれたので、喰ってみたが、ふんわりとした柔らかさが口の中で溶けるような食感だった。これは美味い。完全に恋に落ちた。それから、急いでタクシーを捕まえてホテルに戻って、6個あっと言う間に完食。食べると言うより、飲むと言った方が正しいだろう。まだまだ食べられそうだったがこのへんでやめておくことにした。絶対に、このドーナツは私に発見されることを待っていたに違いない。メデタシメデタシ。美味しいものがいっぱいあるじゃないか、ニューヨーク。(続く)
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マンハッタンデビュー (8日目) [アメリカ]

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なんと、マンハッタンに到着してから8日目。もう、8日目だ。でも、全然飽きない。飽きないどころか、毎日、朝起きて、夜寝るまで楽しくてしかたがない。今日はいつもどおり出勤。午前中は自然史博物館に行った。そして、午後はグッゲンハイム美術館に行った。自然史博物館からセントラルパークを横切ると五番街に出る。五番街を渡って88th St.まで歩くと、フランク・ロイド・ライトが設計した”でんでん虫”、というか、”みなしごハッチのお尻”のような形のその美術館はあった。写真の通りだ。さっそく美術館の中に入ろうと入口らしきところに行くとチェーンで入れないようになっていた。そして、チェーンに”CLOSED”のプレートが。。。なんーだ、せっかく来たのに今日は休みか。しかたがないので、予定を変更して自由の女神を見に行くことにした。自由の女神といっても、高いお金を払ってリバティアイランドに行くのではなく、スタテンアイランド行きの無料のフェリーから見るだけだ。ガイドブックによると、スタテンアイランド行きのフェリーに乗ると自由の女神が見れるだけでなく、ちょっとした”船旅”気分が味わえると書いてあった。私は、元来”無料”という言葉に弱い。気を取り直して、グッゲンハイム美術館を後にした。そして、86th St.から地下鉄に乗った。そう言えば、地下鉄もだいぶ慣れてきたみたいだ。Bowling Greenで降りて、地図を見ながら歩くと、無事にスタテンアイランド行きのフェリー乗り場があるSouth Ferryに到着。なんとなく、人の流れに着いて行くとフェリーターミナルの建物があった。当時、このあたりは。あちこちが工事中だった。フェリーターミナルの建物の中は思っていたより広かった。奥に巨大なシャッターのようなものがいくつかあり、そのうちの一つのシャッターの前にたくさんの人が人垣を作っていた。きっと、乗船時間が来るとシャッターが空くんだろうと考えて、私もシャッターの前に並んだ。10分位待っているとアナウンスがあり、シャッターが開いた。やはり、ここから乗船するのだ。フェリーは思っていたよりもかなり大きかった。乗客は結構乗ったように思えたが船内はスカスカ。ガイドブックにはスタテンアイランドに行く場合は船の右舷に座ると自由の女神が見える、と書いてあったので右側の席に座った。やはり、みんなよく知っていて、ほとんどの人が右側に乗っていた。船のバランスは大丈夫だよね。出港するとすぐにダウンタウンのビル群が見えてきた。これはこれで既にカッコいい。してしばらくすると船内が少しざわついて来た。やはり、自由の女神見えた、、、と思ったけど、かなり小さい。小さいけど、肉眼でギリギリ識別可能なサイズ。まぎれもなく自由の女神だ。ニューヨークの象徴、というかアメリカの象徴。軽く感動した。私にはこれで十分だ。昼間の明るいうちに見たのだが、ガイドブックには夕方が綺麗だと書いてあった。納得。約30分のクルーズは大満足。マンハッタンへの帰りは、行きとは反対に左舷に自由も女神が見えた。これで無料というのは、やぱりニューヨークは太っ腹だ。(続く)
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マンハッタンデビュー (7日目) [アメリカ]

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こちらに来て一週間。少しは慣れて、おどおどしなくなってきた、、、気がするだけかなー。その日は午前は自然史博物館に行き、午後にMoMAに行った。MoMAは絵だけではなく、Power Mac Cubeなどの工業製品も展示していたのでビックリした。ゴッホのオリーブの木と星月夜を見て目が回り、ピカソのアヴィニョンの娘たちを見て頭がクラクラした。もしかするとモダンアートはおいらには、あわないのかもしれないと思った時、気になる作品を見つけた。Broadway Boogie Woogieという油絵。後で調べたら、ピエト・モンドリアンのブロードウェイ・ブギ・ウギという有名な作品だった(全然知らなかった。。。)。現代美術特有の書けそうで書けないヘタウマの絵(すみません)。何故だかわからないが気にいったのでギフトショップでポストカードを買って帰った。そして夜は昨日行けなかった”KATZ'S”に行った。今度は、ちゃんと行けた。タクシーで。。。KATZ'Sのパストラミは美味かった。パストラミを試食させてくれるのも嬉しかった。でも、全体的に値段が高過ぎる。しかも、サンドイッチを作るおやじに、あからさまにチップを要求されたのが腹が立った。もう行かないからいいや。KATZ'Sを出て、車に轢かれそうになりながらを通りを反対側に渡ると、イエローキャブがたくさん止まっているのが目に入った。そして、1台、また1台とイエローキャブが止まり、車から運転手が出てきて建物の中に入って行く。そして、運転手が入った建物から別の運転手が出てきて、道端に止めてあるイエローキャブに乗って走り去る。その繰り返しだ。なんだか怪しい。麻薬かなにかをやってるのかなーと、いつでも走って逃げられる態勢を取りつつ、歩きながら見ていると、袋のようなものと、白い牛丼のお持ち帰り用の容器のようなものを持って建物から出てくる。やっぱり麻薬か、と思ったが建物の屋根に「PUNJABI GROCERY & DELI」と書いてある。なんだ、デリだったのかと、恐る恐る近づいてみた。一段低くなった店の入り口から、何者かが出てきた。ターバンを巻いたガタイのいいインド人だった。そうか”PUNJABI”だもんね。そして、今度は、別のインド人が店に入って行く。開いたドアの中はとても明るく、たくさんのターバンを巻いた人が見えた。と、思ったら、後ろから「こんばんは」と声をかけられた。振り替えると、ターバンを巻いた笑顔のインド人が二人いた。軽くビビったが、私に中へ入るように手で「どうぞ」をしていた。意を決して中に入ってみると、なんとそこはカレー屋だった。店内は鰻の寝床のように細長く、入って左手にカレーが入ったケースがあり、右手は立ち食い用のカウンターになっていた。さらに奥にも食べるところがあるようだ。KATZ'Sで飯を喰ったばかりだったが、興味半分でカレーを買ってみることにした。カレーは沢山の種類のがあり、ご飯は別に買えるようだ。豆のカレーとご飯を注文したら、大きいのか、小さいのか聞かれたので、小さいのを頼んでみた。すると、さっき外で見た小ぶりな白い牛丼のお持ち帰り用の容器にカレーを入れ、もうひとつの容器にご飯を入れてくれた。値段は、なんと$1.50!物価の高いマンハッタンでこの安さは驚異的ではないか。店内で食べたが、味は、それなり。激しく美味しい訳ではないが、まぎれもないカレーである。それほどお腹が減っている訳ではないので量が少ないのに好感が持てた。ふーん、こんな店もあるんだーと、場所を覚えてホテルに戻った。(続く)
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マンハッタンデビュー (6日目) [アメリカ]

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早いものですでにマンハッタン6日目。その日、自然史博物館に行かずにメトロポリタン美術館直行。今日は絶対にヨーロピアン・ペインティングのフロアを見ると覚悟を決めた。やはり、人は多かった。そのフロアには、さすがの私でさえ名前を聞いたことがあるゴッホ、ゴーギャン、モネ、ルノアール、、、の名前があった。その絵は中学、高校の美術の教科書で見たことがあった。確かに人が多い訳だ。しかし、アメリカの美術館は太っ腹だ。接近し過ぎなければフラッシュを使わずに写真を撮ってもOKだ。絵を見ては椅子に座って休み、迷って同じ部屋に何度も戻り、カフェテリアでお茶を飲みながら、気が向くと外に出てあたりを散歩して、、、自分のしたいことをしていると早く時間が過ぎてしまう。仕事をしていると時間の進むのがもどかしいほど遅いのに。。。ぼんやりしていたら、閉館時刻ということで出口に向かうように言われた。ありゃ、もう夕方の5時だ。明日も来ればいや、と思いメトロポリタン美術館を出た。そうだ、今日の晩飯はガイドブックに出ていたKATZ'Sでパストラミサンドイッチを喰おう。一旦、ホテルに戻ってホテルにデイバッグを置いて部屋を出た。ホテルを出るとき、ガイドブックを忘れたことに気が付いたが、取りに戻るのが面倒だったので、フロントでKATZ'Sへの行き方を聞いた。しかし、私の発音が悪く、「何だって?」と聞き返されたので、デスクの上にあったメモ用紙に”KATZ'S”と書いたら、「あー、ここからだったらワールドトレードセンターにあるよ」と教えてくれた。「ワールドトレードセンターのどこ?」と聞くと、彼は、電話帳のようなものを取りだして何やら調べて、メモ用紙にKATZ'Sの店名とビルの名前と住所を書いてくれた。そして、あっちに着いてから誰かに聞いたほうが間違いない言った。それもそうだ。ホテルの最寄駅から直通でワールドトレードセンターには行けなかったが、乗り換えが面倒だったので、ワールドトレードセンターの近くの駅で降りて歩いた。しかし、これが意外と遠かった。ワールドトレードセンターの場所は知らなかったが、通りがかりの人に聞きまくったらあっさり辿りついた。ワールドトレードセンターの前で歩いている人に「KATZ'Sはどこですか?」と聞くと、怪訝な顔をされたので、住所を書いてもらった紙も見せた。すると、「あー、ここだよ」とワールドトレードセンターを指さした。私はお礼を言って、ワールドトレードセンターの中に入り、ディレクトリを探したが、KATZ'Sは見つからなかった。レセプションに行き、住所を書いてもらった紙を見せながら「KATZ'Sはどこですか?」と聞くと、「2階」と教えてくれた。なんだ、あるじゃないか、と2階に上がってグルグルと歩きまわったが無い。仕方が無いので、、また人に聞くか思い、住所を書いてもらった紙を取り出すして見ると何かがおかしい。何だろう、この違和感は。再度、紙を良く見ると、そこには”KATZ'S”ではなく”tkts”と書いてある。あれっ、おいらが書いた時はちゃんと”KATZ'S”と書いたのに、フロントのにーちゃんが書いた住所の下には”tkts”の文字が???これで「カッツ」と読むのか?と混乱していたら、すぐ目の前に”tkts”という派手な赤い文字と電光掲示板のようなものが出ているではないか。なんじゃこれは。遠巻きに見ていると、客と思しきカップルがやってきてチューチーしながら電光掲示板を見て窓口で何かを買っているようだ。チューチーすることに意味がある場所なのだろうか。そして次々に大人数で、はたまた一人でやって来ては、窓口でお金を払って何かを受け取っていた。意を決して窓口で何かを買っていた人に、「ここはなんですか?」と聞いてみた。しかし、いきなりやって来て、「ここはなんですか?」という質問もないだろう。聞かれた方も、「ここはなんですか?」にビックリしたようだが、ここは、”tkts”と言って、今日のブロードウェイのミュージカルのチケットを半額で売ってるんだ、と教えてくれた。どうやら、明らかにKATZ'Sではないようだ。恐るおそる、「KATZ'Sはこの近くにある?」と聞いてみると、「KATZ'S?KATZ'Sってデリの?KATZ'Sは2nd Ave.だよ。ここからだと、歩いて30分くらいかな」と親切に教えてくれた。なんと”KATZ'S”と”tkts”を間違えたのである。あの、ホテルのフロントのにーちゃん絶対許さん。しかし、、、オン・ブロードウェーのミュージカルが半額で見れるというのは朗報だ。確かに、落ち着いて見ると電光掲示板には、The Lion Kingとか聞いたことがあるミュージカルの名前と割引率が出ていた。本当だ、50%と出ている。半額だ。もしかすると、不幸中の幸いかもしれない、と思った時には窓口に並んで今晩8時”CHICAGO”のチケットを半額で買っていた。なんという前向きな姿勢だ。だから、私は自分自身が大好きだ。もう一度生まれ変わるなら、また自分がいい。しかし、勢い余ってチケットを買ってはみたものの$50.75。。。オン・ブロードウェーのミュージカルって正規の値段って$100もするんだ。”tkts”はタイムズ・スクエアにあるのがあまりにも有名だ。真冬でもチケットを求めて長蛇の列を作っている。9.11まではワールド・トレード・センターの2階にもtktsがあったのだ。あまり知られていなかったようで、いつ行っても並ばずに50% OFFのチケットが買えて便利だった。でも、ワールド・トレード・センターが崩壊して、”tkts”もなくなってしまった。

午後8時前に49th St.のアンバサダーシアターに到着。周りはミュージカルをやっている劇場だらけ。ライオン・キング、オペラ座の怪人、キャッツ、、、などなど。Theater Districtとは良く言ったものだ。劇場に入って案内された席は1階真ん中のOrchestra Boxの中段くらいで、見やすそうな位置だった。ミュージカルが始まった最初は、セクシーな衣装とダンスに度肝を抜かれた。盛り上がりも凄いと思った。しかし、”CHICAGO”のあらすじを知らず、しかも英語がよくわからないのですぐに飽きてしまった。BLUEMANの方が面白いなー。今度、オン・ブロードウェーのミュージカルを見るときは、せめてあらすじを理解してから来ようと反省した。なお、後に米倉涼子がロキシーを演じたのは、このアンバサダーシアターだった。(続く)
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マンハッタンデビュー (5日目) [アメリカ]

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マンハッタンに来て今日で5日目。朝はゆっくり起きて自然史博物館に挨拶した後、メトロポリタン美術館に行った。もはや、”通勤”と言っても差し支えないかもしれない。昨日のスタートと同じように、ヨーロピアン・ペインティングのフロアに行ってみたが昨日と同様に混雑していた。サササっと見て、今日は日本美術のフロアに行ってみようと思ったが、なんだかお腹が減って来たので、まだ早い時間だったが昼飯を喰うことにした。ガイドブックに載っていた、グランドセントラルステーションのオイスターバーに行ってみることにした。一旦外に出て地下鉄に乗り、細心の注意を払ったせいか、あっさりグランドセントラルステーションに着いた。駅のコンコースに上がってビックリ。これって、美術館じゃないの?と思ったくらい綺麗でゴージャスだった。コンコースから一つ下のフロアに降りて、フードコートを過ぎるとオイスターバーがあった。ちょうど、開店したところだったので、店内は空いていた。席に案内され、大きくて見やすいメニューを渡された。まずは、オイスターバーに行った人が必ず頼むというマンハッタンクラムチャウダーを頼んだ。生牡蛎はどれが美味しいのかわからなかったので、給仕のおっさんに聴いてみると、BLUEPOINT、BELON、KUMAMOTOが美味いと教えてくれた。ん?「KUMAMOTO?」と聞き直すと、「KUMAMOTO」。。。メニューを見ると、確かに「KUMAMOTO?」と書いてある。日本の牡蛎なのかと聞くと、カリフォルニア産だと言う。日本の品種なのかと、しつこく食い下がったが、わからないと言われてしまった。そんじゃ、とりあえずBLUEPOINT、BELON、KUMAMOTOを2つづつ、レモンをたくさん付けてくれと頼んだ。すぐに、マンハッタンクラムチャウダーが来た。一緒に添えられたクラッカーを全部投入。これは、美味い。こちらに来てから食べたものの中で一番美味い。パンとセサミのクラッカーが山盛りで出てきた。セサミのクラッカーは美味しかったけど、パンはイマイチだったので、セサミのクラッカーばかり食べていた。生牡蛎が出て来たが、どれも美味かった。特にBELON、KUMAMOTOは死ぬほど美味かった。なんだよアメリカ、美味しいものがあるじゃないか。そう言えば、BELONって、ハンニバル・レクター博士がアミューズで喰ってなかったっけ?あまりの美味しさに、あっと言う間に食べてしまった。まだ、全然余裕があったので、BELON、KUMAMOTOを2個づつ追加した。給仕のおっさんに、他に美味しい牡蛎がないか聞くと、今の時期だとMOONSTONEが美味いという。あと、牡蛎じゃないけどクラムが美味いというので、クラムも2個頂くことにした。すぐに追加で頼んだ牡蛎が来たが、あっと言う間に平らげた。そして、デザートにキャラメルカスタードと紅茶を頼んだ。美味かった。久しぶりに腹いっぱい喰った。やればできるではないか、アメリカ。しかし、チップを含めて約$55は食べ過ぎた。。。オイスターバーを出てグランドセントラル駅をもう一度見て、一旦ホテルに戻った。お腹いっぱいになったので、眠くなった。そうだ、昼寝をしよう。小一時間寝て、また、メトロポリタン美術館に行き日本美術のフロアに直行した。日本美術のフロアは人が少なく、とても静かだった。しかし、見て回るうちにエジプト古代美術と同様にビックリ度が増していく。子供の頃に永谷園の名画カードで見た絵や仏像が展示されているのだ。しかも、そのほとんどが日本にあるものとばかり思っていたが、実は違ったのだ。尾形光琳や北斎などは、私ですら知っている。巨大な仏像とか、日本にあったら国宝だよね、と思うようなものがヒッソリと展示されている。そんな、日本の美術品を海外の人たちが熱心に見ていたので、なんだかとても誇らしい気持ちになった。おいらやっぱり日本人。このフロアも意外性の連続だった。灯台下暗し、と言うより無知に近い。

そして、今夜はアスタープレイスにBLUEMANを見に行く予定を入れていた。チケットは日本からインターネットで購入してあった。受け取りは直接シアターのボックスオフィスで受け取るということだった。ちょっと、不安だったので早めにアスタープレイスシアターに行った。ボックスオフィスの女性にチケットを購入した時の書類を印刷した紙を見せるとチケットを渡してくれた。ずいぶんあっさりチケットを入手できたではないか。開演まで少し時間があったので、近くのスターバックスでお茶を飲んで時間を潰した。そして、まだ開演時間には余裕があったが、シアターに行ってみることにした。シアターに着くと、すでに扉が空いていて中に入ることができた。人気がある割に小さいシアターだ。自分の席に座っていると、あっと言う間に席が埋まった。開演時間になると、大音量のBGMと共に3人のBLUEMANが現われて芝居がスタート。BLUEMANのいいところは、言葉を発しないので、英語がわからなくても大爆笑できること。とにかく笑いっぱなしだ。特にツボだったのは、次から次へと管から落ちてくるピンポン玉を観客の一人に押えさせて、BLUEMANの3人が「じゃーねー」といなくなってしまうネタ。とにかく芝居も面白かったが、オフ・ブロードウェイ見たよ、、、という興奮と満足感でいっぱいだったので、シアターを出た後、飲めもしないのにパブに寄った。しかし、ビールを頼んだら、ハーフパイント単位でしかオーダーできない店だった。頑張って飲みきったことは飲みきったのだが、ほぼ泥酔状態でホテルに戻った。(続く)
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マンハッタンデビュー (4日目) [アメリカ]

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翌日、また開館時間に合わせて自然史博物館に行き、バロサウルス親子におはようを言った。そして、今日は自然史博物館は終わり。これから、セントラルパークを挟んで反対側のメトロポリタン美術館に行こうと考えていた。自慢じゃないが芸術には疎い。疎いというか興味がないと言った方が正しい。だた、友人に「興味が無くても、メトロポリタンとMOMAは言っておいた方がいいよ」と言われていたので行ってみることにした。自然史博物館を出て、道路を渡るとそこはもうセントラルパーク。おお、ここがセントラルパークか。道を真っ直ぐ歩いて行くとメトロポリタン美術館が見えてきた。自然史博物館もそうだが、建物が大きくて重厚だ。やっぱり、スケールがでかい。正面に廻ってエントランスをくぐると、たくさん観光客がいた。チケットを買い、フロアプランをもらって中に入る。まずは、ヨーロピアン・ペインティングのフロアに行ってみることにした。さすがに、私でさえ名前を聞いたことがあるゴッホ、ゴーギャン、モネ、ルノアール、、、しかし、人がもの凄く多かったのでエジプト古代美術のフロアに行ってみることにした。エジプト古代美術のフロア行ってみたが、これは凄い。美術音痴の私ですら凄いと感じるのだ。また、美術品の数々も凄いが美術館の中に神殿の柱やスフィンクスとか神殿の一部がドカンとそのまま展示されている。そして、自然光を上手に取り入れた展示がとても雰囲気がいい。何より、広々としたフロアなのに人が少ないのがいい。しかし、エジプト古代美術のフロアを行きつ戻りつしてみていたが途中で迷った。どうやっても、エジプト古代美術に戻れなくなった。諦めてカフェテリアに入って一休み。時計を見ると、お昼も食べずに2時間以上も見続けていた。カフェテリアでサンドイッチを食べたが、やはり高くて美味しくはなかった。昼飯を喰い終わって、また、フロアマップを見ながらエジプト古代美術の場所を目指したらあっさり戻れた。また、同じフロアで遊んでいたら、すでにもう夕方になっていた。明日また来ればいいやとメトロポリタン美術館を後にした。地下鉄でホテルに戻ろうと最寄りの駅から地下鉄に乗ったが、ホテルのあるWest 4th St.には止まらなかった。しかたがないので、14th St.で降りてユニオンスクエアから歩くことにした。ホテルまで歩いて帰る途中でBarnes & Nobleがあったので入って一休みすることにした。以前、シカゴに行った時に入ったBarnes & Nobleが気にいっていた。Barnes & Nobleはなんんとも自由な本屋だ。本を買う前の”立ち読み”とか言うレベルではなく、みんな地べたに座って本を読んでいる。しかも、スタバなどのカフェ併設のところは、買ってもいないのに本を何冊か持ってカフェに入れる。アメリカらしいと言えばアメリカらしい。おいらも、お茶でも飲みながら本を立ち読みしよう。あーあ、幸せだ。(続く)
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マンハッタンデビュー (3日目) [アメリカ]

(続き)
一旦ホテルに戻り、晩飯を喰うことにした。さすがにマックのチーズバーガーは飽きたので、ホテル近くのデリでカレーとパン、そしてSnappleを買い部屋で食べた。その後、ホテル近くのカフェでケーキを食べてお茶を飲んだ。ケーキは大きくて美味しかった。無駄に使える時間がたっぷりあるのはいいものだ、とこの時に気が付いた。それはその後、無駄な時間を消費するために海外を旅するようになったきっかけだった。そして、ホテルに戻ってフロントにいた男性スタッフに「このあたりで、今から予約なしで、安くGigが聴けるクラブとかない?」と聞くと、「ジャズだったらグリニッジビレッジにあるSmallsは予約がいらない上に安いよ。あとは、Twiloというチェルシーにあるハウス系のクラブが流行ってるね。Twiloが盛り上がるのは0時を過ぎてからだよ」と教えてくれた。Twiloと言えば日本でも有名なクラブだ。おお、それはいい。SmallsでGigを聴いてから、Twiloで踊るというのもマンハッタンっぽくてかっこいいではないか。

フロントのスタッフにSmallsとTwiloへの行き方を書いてもらってホテルを出た。書いてもらった地図を見ながらSmallsに向かったが道に迷った。通りを歩いている人に地図を見せてSmallsへの行き方を聞いたら、地図が間違っているらしく、行き方を丁寧に教えてくれた。教えてもらったとおりに行くと、あっさり到着。地図ぐらいちゃんと書けよ。見過ごしてしまいそうな小さな手書きの看板に「Smalls」と書いてあったので目的の場所だとわかった。階段を降りると人が階段の途中まで並んでいた。並んでいる間にすでに音楽が聞こえてくる。テンションが上がってくる。少し待つと店内に入ることができた。店内は本当に”Smalls”だった。店員に$10.00のミュージックチャージを払い、空いている席を探したが、どこも席が埋まっていた。1つだけ、隅っこの席が空いていたので、すぐに座った。意外とついているかも。演奏者は見えなかったけど演奏は聞こえる。飲み物を頼みたかったのだが、周囲を見回してもオーダーを取りに来る気配がない。さらに周囲を見回すと、椅子5~6脚ごとに小さなテーブルがあって、その上に飲み物らしき瓶が数本置いてある。そして、客はそれを自分でグラスに注いで飲んでいる。セルフサービスなのかと思ったが、システムがわからないので近くの椅子に座っていた女性に「飲み物ってどうやってオーダーするんですか?」と英語で聞いたら、「テーブルにある飲み物は無料みたいですよ。飲み物は、基本、持ち込みみたいですけど」と日本語で教えてくれた。なんと、その人は日本人だった。少しだけ話をすると、彼女も観光でマンハッタンに来ていて、ガイドブックに書いてあったこのジャズクラブに来てみたのだとか。若い女性の一人旅は、何だかかっこいいぞ。確かに良く見ると、日本人がポツポツいた。しばらく演奏を聴いていたのだが、私の前を頻繁に人が通ることに気が付いた。一応、見えにくいとは言え、前方の演奏者の方を向いていたので頻繁に前を通り過ぎられると気になってしかたがない。ふと横を見ると、そこはトイレの入口だった。なんと、トイレの入り口に座っていたのか、と思ったら急に芳香剤の臭いがするような気がした(気のせい)。隣の女性も、そこは気になっていたようで、私がトイレの入り口に気が付いたことに気が付いたようで、「気になりますよね」と笑っていた。しばらくすると、少し前の席が空いたので、横の日本人女性に指で空いた席を指さすと、彼女が頷いたので席を移った。トイレの芳香剤の臭いが若干軽減した(ような気がした)。さらに、演奏を聴いていると、前方の大人数のグループが席を立ったので、横の日本人女性に「前の席に移ろうと思いますが、(一緒に)移りませんか?」と声をかけて、一緒に素早く前方の席に移動した。そこは、観客の頭越しに演奏者が見えるくらいステージに近い席だったし、もう芳香剤の臭いはしなかった。これでステージが見える。ステージを見るとピアノとドラムとベースのトリオだった。ベースを弾いている人は色が黒かったがアジア系、日本人のようにも見えた。つくづく思ったのは、自分は日本人だなーということ。欧米人はリラックスしていて、声や拍手などの合いの手を入れるのが上手い。私はというと、黙ーって演奏を真面目に聞いていた。たまーーーに、青山のBLUE NOTEに行ってもそうだしなー。 かれこれ2時間近く聴いていただろうか、どうやらこのトリオの演奏は終わりのようだった。ステージの上の演奏者たちがバックステージに帰る時に、色黒のアジア系のベーシストが「今日はどうもありがとう」と日本語で言った。やっぱり、日本人だったんだ。やっぱり、マンハッタンは日本人が多いんだな。隣の日本人の女性に「お茶でもどうですか?」と聞いてみたが、「もう遅いので今日は帰ります」と言って足早に店を出て行った。私のニューヨークでの恋の始まりが終わった。

私も店を出て、チェルシーまで歩いてTwiloに行ってみることにした。フロントで書いてもらった地図でTwiloを探したが見つからない。またかー。地図のクオリティ悪杉(w。あたりを、グルグル回って探していたら、もの凄い行列を発見した。これだっ!しかし、凄い行列。これは、ダメだと思い、Twiloに入るのを諦めた。さーて、今日は帰ろう、とホテルに戻って眠った。(続く)
タグ:Twilo Snapple Smalls
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マンハッタンデビュー (3日目) [アメリカ]

(続き)
マンハッタン3日目、朝食を食べ過ぎたのでユニオンスクエアのグリーンマーケットまで散歩した。マーケットは、店ごとにテントで区切られていて、パン、野菜、果物や肉、魚などを売っていた。その中に「Hot mulled Cider」という看板を出しているテントがあった。大きなウォータージャグがあって、蛇口から温かい液体を紙コップに注いで売っていた。1杯$1.00。私は店員に「Hot mulled Ciderって何?」と聞くと、「アップル・サイダー」と答えた。そうかそうか、暖かい林檎のサイダーなのか。珍しいから試してみることにした。飲むと、甘いリンゴジュースのような味で美味しかったが、炭酸のシュワシュワがない。ただ、ワインが入っているようだった(日本に帰って、友人に「アップルサイダーを飲んだが炭酸じゃなかった」と言ったら、英語の「Cider」はリンゴジュースのことだよ、と笑われた)。それからまた、自然史博物館に向かった。今日は、各フロアをゆっくり見ると決めていた。自然史博物館、というかアメリカの美術館、博物館は、とにかく見る側にし親切で優しい工夫がされている。無料でもらえるフロアプランは英語やスペイン語だけでなく日本語まで揃っている。さらに、耳の不自由な人用の文字を使った電話機があった。TDDという電話機で、メールやSMSが登場した今ではなくなってしまったと思うが、随所にさまざまな配慮が施されていた。日本語と英語のフロアプランをもらって、まずは4階に上がって恐竜のフロアを見て回った。じっくりと見ると結構時間がかかる。セントラルパークが見えるタレットで一休み。朝日に輝くセントラルパークとマンハッタンの摩天楼というセットが無料で見れた。また、恐竜を見て回るとお昼を過ぎていたので、地下のカフェテリア「Diner Saurus」に行ってみたが、地下全体が閉館していた。そうか、それで昨日は自然史博物館の地下に直結している地下鉄の出口から出れなかったのか。それでは、と一旦外に出てガイドブックに出ていたベーグルなるものを食べに行くことにした。私はそれまで、ベーグルと言うものを食べたことがなかったが、ガイドブックの写真は紛れもないただのパンだった。店に入ると、普通のこぎれいなデリだった。なるほど、ケースの中にベーグルと思しきものが何種類かある。店員に、「これをくれ」と指をさしながら言うと、「1個か?」と聞かれた。結構大きなサイズだったので1個でいいと言うと、今度は「どうする?」と聞かれた。トーストとかにして食べるのかと理解し、「トースト」と答えると、店員は怪訝な顔をしたものの「OK」と理解してくれたようだった。そして、紅茶を頼んで店の中で食べることにした。ベーグルは確かに美味しかったが、なんとなく物足りない感じがした。他のお客さんが注文するのを店内で眺めていたら、ベーグルは、チーズをたっぷり塗って、いろいろなものを大量に挟んで食べるようだった。トーストなどする人はいなかった。店員が「どうする?」と聞いたのは、ベーグルに何を挟むかという意味だったことに気が付いた。とはいえ、結構お腹にたまったので、自然史博物館に戻った。1階のバロサウルス親子に「ただいま」の挨拶をして、ゆっくりと3階から見始めた。3階と2階を見終えたので今日は見学終了。しかし、見飽きないー。明日も来るぞ。(続く)
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マンハッタンデビュー (2日目) [アメリカ]

(続き)
次の日も自然史博物館に行ったが、ホテルのスタッフが79th St.の駅は自然史博物館に直結しているからそっちから行く方が楽だと教えてくれた。West 4th St.から79th St.に行くには乗り換えが必要だったが、果敢にも59th St.のコロンバスサークルで乗り換えて79th St.から行くことにした。奇跡的に乗り換えに成功し79th St.に着いたのはいいが、自然史博物館に直結している出口は工事中で入れなかった。地下鉄とは相性が悪いようだ。仕方がないので別の出口から出て自然史博物館に向かった。昨日と同じようにセントラルパーク側のエントランスから入って、バロサウルスのお母さんの正面に向かうと、親子が「おはよう」と言っているように思えた。昨日はここで帰ってしまったが、滞在中は毎日ここに通うつもりだった。中に入るには入場券を買わなければいけないのだが入場料が$20もする。入場券を買うためにチケットブースに並んで一週間毎日通うために割引がないか聞いてみた。すると、メンバーシップに参加すると1年間入場料無料になると教えてくれた。じゃーそれちょーだい、と言うとチケットブースの横に行けと言われた。チケットブースの横の机のところに行くと、男性が机の下に頭を突っ込んで何かやっている。私が「Excuse me」と言うと、その男性は机の下から顔を出した。彼は私の顔を見て「日本の方ですか」と流暢な日本語で答えた。あれっ、日本人?と私がビックリしていると、「あっ、私日本人です」と笑いながら言った。彼は、自然史博物館で働く学芸員なのだが、今日は当番でメンバーシシップの受付をしていると言っていた。なんという偶然。メンバーシップに申し込みたいと言うと、Individualで1年間$45掛かるがいいかと聞かれた。入場料が1日$20だから3日通えば元がとれるではないか。申し込みをお願いすると、私の代わりに申込書に必要事項を全部書いてくれた。住所と氏名だけ私が書き込んで申し込みは終わり。これはお得。丸腰だと1日$20のところ、$45で一年間無料の上、いろいろな割引券、雑誌やグッズなどがもらえた。今回はメンバー用カードがないので申込書の写しを見せれば博物館に入れる。メンバー用カードは出来上がり次第郵送する、、、などいろいろ親切に教えてくれた。こんなの、英語だったら全然わからなかったので助かった。博物館は楽しかった。一通りサッと見ても丸一日がかりだった。恐竜のフロアは興奮した。青白いライトに浮かぶ有名な巨大なシロナガスクジラの模型にも心惹かれた。昼食は博物館のカフェで食べたが、やっぱり高くて美味しくなかった。結局、朝から夕方まで自然史博物館で過ごしたことになる。(続く)
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マンハッタンデビュー (1日目) [アメリカ]

マンハッタンデビューは比較的遅かった。ちょうど20世紀も終わろうかという頃だった。年末・年始の休暇が取れなかったので、2月に休暇をまとめて取ってマンハッタンに一人で出かけた。思えばマンハッタンデビューは初めての一人旅でもあった。もうひとつ言うと自分で国際線の航空券を予約して購入したのも初めてだった。つい昨日のことのようだ。

飛行機がニューヨークに着陸する直前には自由の女神とマンハッタンの摩天楼が見えて感動のあまり、おしっこを洩らすと思って窓側の席にしてもらったが見事に裏切られた。そんなものは微塵も見えなかった。そもそも、ニューヨークJFK空港がマンハッタンにないことすら知らなかったのだから。。。もう、15年近く前のことで記憶も薄れてきたが、空港からマンハッタンまでのタクシーは30ドルのフラットレートだったような気がする。だいたい、タクシーに乗った時に運転手に「フラットレート」と言われて何のことかわからなかった。泊まったホテルはWest 4th St.にあるワシントン・スクエア・ホテル。古いホテルで、狭い部屋だったが意外と高かった。地下室のようなところがカフェになっていて、朝食はそこで食べることができた。ホテルは、名前の通りワシントン・スクエアのすぐそばだった。近くには、ニューヨーク大学があり、グリニッジ・ビレッジやソーホー、チェルシーにも近かった、、、とは言うものの、その頃、グリニッジ・ビレッジは映画のタイトルで聞いたことはあったが、ソーホーは知らなかったし、チェルシーは明治が出していたお菓子しか知らなかった。寒くて雪が積もっていたが嬉しくて意味もなく街中をウロウロ歩き回っていたのが懐かしい。まだ、9.11の前でセキュリティが緩く、ニューヨーク大学などはセキュリティチェックなしで、あちこちに入って行けた。キャンパスにメグ・ライアンとスパイク・リーを探したが、いる訳がなかった。この頃、レストランに行き慣れてなかったせいか、食事はいつもホテルの近くのマクドナルドのハンバーガーだった。少し慣れてきてから、これまた近くのインド人が経営するデリでおかずを選んでパックに詰めて、パンとSnappleを一緒に買って食べた。日本に帰る間際になってようやくレストランに行くようになった。リトルイタリーにはイタリアンの店が沢山あったので適当に入ってみたが高くて不味かった。とにかく、見るもの、聞くもの、食べるもの、感じるもの、、、何でも興味があった。私が泊まったホテルの周囲には不思議で面白い建物がたくさんあった。花屋が沢山あって老若男女を問わず花を買っているのに驚いた。ハドソン川のあるウエストサイドまで歩き、そこから反対のイーストサイドまで歩いてみたりした。ウエストサイドまで歩いて行く間に美味しそうなチョコレート屋、パン屋、ケーキ屋などを見つけたので目を付けておいた。イーストサイドのアルファベットアベニューは、まだ少し物騒な感じが残っていた。冷たい雨が降ってきたので足早に歩いた。決してあたりが物騒で怖かったからではない。

マンハッタンに行った一番の目的は自然史博物館に行くことだった。マンハッタンに着いた日の午後、ホテルから地下鉄で自然史博物館に行くことにした。当時の地下鉄はメトロカードが導入され始めた頃だったが、トークンが使えた。まだ、運賃は$1.50だった。West 4th St.から地下鉄に乗って自然史博物館のある81st St.で降りようとしたが通り過ぎて降りれず、125th St.と3桁の丁目まで行ってしまってビビった。どうやらそれは、81st St.に止まらないExpressだったようだ。The Mapと睨めっこしながら81st St.に戻ろうとしたが、何故かまたExpressに乗って、59th St.まで戻ってしまった。われながらトホホ。今度は、アップタウンに行くLocalに乗って81st St.で降りることができた。セントラルパーク側のエントランスを入ると写真で見た体長27mの草食恐竜のバロサウルスとそれを襲おうとする肉食恐竜アロサウルスの骨格模型に圧倒された。近づくと説明のプレートに「Barosaurus defends her young.」と書いてあった。バロサウルスが彼女の子供を守るためにアロサウルスの襲撃を迎え撃とうとしている構図だとわかった時、何故か涙が出てきた。きっと、神経が昂ぶっていたんだろう。壁にはポーツマス条約締結の時の小村寿太郎の絵が描かれていたりして、その場を離れることができなかった。結局、その日は入場料を払う必要の無いエントランスだけで満足し、3時間ほど時を過ごして博物館を後にした。(続く)
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クーパーズタウン [アメリカ]

ニューヨークから250kmほど北にクーパーズタウンという小さな街がある。その、たった5ブロックしかない小さな街にはNational Baseball Hall of Fame and Museumがある。アメリカの野球の殿堂だ。なんでも、アメリカ野球発祥の地を調査したらクーパーズタウンだったということらしい。昔から行きたかった場所だった。ニューヨークに行った時に行ってみた。まだ、日本人メジャーリーガーが野茂だけだった年の2月、雪の降るマンハッタンのポートオーソリティ・バスターミナルから朝6時のバスに乗った。ハドソン川を超え、最初にWoodstockというところに止まった。おっ、ここってウッドストック・フェスティバルをやったところか?と思ったが確認する術がなかったので現在まで不明なままである。雪はかなり降っているがハイウェイに入ってから快調に飛ばす。快調なのはいいが、この雪の中、少しスピードを出し過ぎな気がする。すると、急ブレーキが踏まれバスが軽くスリップしながらバスが止まった。こんなところにバス停があるのかー、と思っているとスキーの板を持った家族連れが乗り込んできた。えっ、このバスってスキー場に行くのかという軽い驚愕とスキー板を車内に持ち込むなよなーという軽い憤りが交錯した。しかし、その後のバス停からスキー板を持って乗り込んでくる人が多くなってきたので普通のことなんだと理解した。途中、山道に入り、スキー場で止まり、スキーの板を持った人々は降りて行った。なんだ、おいらはどこに行くんだ?と少し不安になってきた。。。しばらく走ると、いくつかのバス停で人が降りてしまい、乗っているのは私だけ。後ろの方に座っていたのだが、バスの運転手が「前の方に来いよ」と言うので、運転手の後ろの席に座った。まったく気にしていなかったのが運転手はボブサップみたいな巨体の黒人だった。どこから来たのかとか、どこに行くのかなどと話かけてくれるのは嬉しいが、雪が相当強く降ってきたのに相変わらず物凄いスピードで走っていたのでヒヤヒヤものだった。しばらく走っていると、また軽くスリップしながら急停車した。運転手は私に物凄い勢いで捲し立てながらバスを降り、巨体をユサユサと揺すりながら走って道路を渡って行った。運転手が飛び込んだ先はバーガーキングだった。少しして店から出てきた運転手は店に入る時と同じように巨体を揺すりながら走ってバスに戻ってきた。バスに戻ってきた運転手は両手に4つの紙袋を持ち、顔には満面の笑みを湛えている。運転手は「喰え」と私に紙袋を差し出した。たしかに小腹が減っているのでお金を払おうとしたが、おごってやると言うのでお言葉に甘えた。走行中にバーキンに飛び込んでいいんかという軽い憤りは、ワッパーチーズの美味さで相殺された。そして、運転手が着いたぞと言うので外を見ると一応バスの折り返し場のようになったところに止まった。ネットで事前に調べた時は”道端に止まる”と書いてあったがアップグレードしたんだろう。運転手に手を降ってバスを見送った後、周囲を見回すと高い雪の壁で何も見えない。ようやく、積雪の凄さに気が付いた。しかし、人が歩くところは雪かきされて通路になっているので、通路に沿って歩いてみた。まるで、迷路に切られた道のようだ。今日のホテルを目指すが、どこにあるのかまったく見えない。雪もかなり降って来て、あわや遭難か、、、と思いきや、1~2分適当に歩いたところに白い三階建ての木造建物が見えた。そして、その庭先に「The Inn at Cooperstown」と書いた看板があった。なんだ、あっさり今日の宿に着いてしまった。しかし、地球の歩き方を見た時は意外と行き方が面倒臭そうな感じがしたが、全般的にあっさり到着してしまた。クーパーズタウンに快適に二泊し、何のハプニングもなくマンハッタンに戻った。ちょっと拍子抜けした。

人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである
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オレンジ・ハイ [アメリカ]

アメリカ同時多発テロの翌年、ニューヨークに行った。日本にいる時からテロ警戒水準が高いレベルになっていて、成田を出発する前には”オレンジ”になっていた。ちなみに、この警戒レベルは低い方から緑(低い)→青(慎重を期する)→黄色(高まっている)→オレンジ(高い)→赤(重大)の5段階。オレンジは高い方から二番目で、イベントの開催延期・中止を検討、危険と見られる施設への立入制限などの措置が取られるというレベル。そんなこと言われても航空券もホテルも予約しちゃったし休みも取っちゃったから断念すると言う選択肢はなかった。定刻から少し遅れて全日空NH010便はニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に向けて飛立った。飛んでしまったらテロもクソもない。機内食を食べ、映画を見て、寝て、、、とだんだんやることが無くなってきた。あまりにも暇なのでギャレイの横にある扉の窓から外を眺めていた。私は、高度33,000フィートの上空から見る景色が好だ。夜、真っ暗な闇にほんの少しだけ明かりが見えたり、氷や雪に覆われた大地の中に小さく人間の営みが見えると、どんなところでも人間は生活してるのねー、と時間を忘れて見入ってしまう。すると、「何か見えますか?」と女性の声。振り向くとCAさんではないか。しかも、若くて綺麗なCAさんである。「人間の営みが~」と言うとCAさんは笑っていた。そのCAさんとしばらくお喋りをしていた。若くて綺麗なCAさんは、CAになって3年目、ずっと国内線乗務で最近国際線乗務になってとても嬉しい、国際線乗務は憧れだった、、、と目を輝かせながら話してくれた。私は、定期的にニューヨークに行けるなんていいですね、とか、二泊四日はきつくないですか、とか、ニューヨークで安くて美味しいところを教えてくださいとか、、、ありきたりの質問をしていた。興味があったので”社員優待”みたいなので安く飛行機に乗れたりしないのか聞いてみたら「あるにはありますけど、HISの方が安いくらいですよ」と言って笑っていた。CAさんは何度か”ちょっと、失礼します”と言って仕事に戻るが、終わると戻って来て話をした。”おっ、これはいい感じではないか”と勝手な妄想も膨らむ。なんだかんだで結構お喋りをしていた。時計を見て計算すると、成田を飛び立って既に12時間が経過している。CAさんとの幸せなおしゃべりも終わりか、、、と思って窓の外を見ると、飛行機の下の方から小さくて光る物体が2つ見えた。その物体は動いていて、すぐに見えなくなった。よーく、見ていると、また光る物体が見えるではないか。UFOだと思い、そのCAさんに「あれ、何ですかね。UFOだたりして」と聞いてみた。CAさんが窓から私が指差す方向をしばらく見ていると、「あっ、あっ、あっ、本当ですね」と色っぽい声で言った。そのうち、銀色に光る物体が飛行機に向かって飛んで来るではないか。CAさんが顔色を変えて「機長に確認してきます」と言ってその場を離れた。暫くすると、機長からのアナウンスで、ニューヨーク上空でたくさんの飛行機が着陸を待っていて、私達が乗っている飛行機も着陸の順番待ちだと言っていた。「燃料は十分あるので心配ありません」と言うのがとても心配だ。最後に「ニューヨークのテロ警戒水準がオレンジからオレンジ・ハイに引き上げられました」と止めを刺すようなアナウンスだった。いまさら言われても。すると、さっきのCAさんが戻って来て「他のお客様には内緒にしてくださいね。あの銀色の光る物体はアメリカ空軍の戦闘機だそうです」という衝撃の告白。・・・もっと、違う告白だったら嬉しかったのに。そう言えば、この間テレビで、ニューヨークとかワシントン上空で管制や空軍の指示に従わないと撃墜される、って言ってたぞ。おいおいおいおい、機長、ちゃんと管制塔の指示に従って飛んでくれよ。怪しい動きとかしちゃダメだぞ。別に死ぬのが怖い訳ではないが、死にたくないよーというネガティブな思いと、どさくさに紛れてこのCAさんに、生きてニューヨークに着いたらデートしてくださいとか誘ってみようかな、というポジティブな思いが鋭く交錯していた。しかし、着陸許可が降りたので席に戻ってシートベルトをしなさいと機長のアナウンスがあった。ちょっとだけ安心したが、せっかく仲良くなったCAさんとお別れするのが寂しかった、
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コンチネンタルブレクファースト [アメリカ]

12月24日、クリスマスイブの夜にシカゴに着いた。別においらジョン・マクレーンじゃないけど。空港はクリスマスやる気満々。空港から地下鉄で目的地に着くと街中はクリスマス一色。通りのイルミネーションやライトアップされた建物が眩しい。アメリカのクリスマスイブの割に人通りも多い。お腹が空いていたのでお気に入りのBBQレストランCARSON’Sに行ってベイビーバックリブのフルサイズを食べたら、満腹で動けなくなった。うううっ、楽しみにしていたピザが喰えん。仕方なく腹ごなしにホテルまで歩いた。ホテルの近くにはコンビニ、地元系のデリ、ハンバーガーショップやドーナツショップ、さっき喰えなかったピザ屋に怪しい中華料理屋、そして私にとって最も重要なカフェ付きの本屋があり言うことなしの便利なロケーションであった。ホテルにチェックインする時、今日の夜と明日の終日はホテルのレストランは休みだと言われたが、まったく問題ない。なんせ、このあたりは便利な場所なのだ。ホテルの高いレストランなんかでは晩飯は喰わんよ、とは言わなかったけど。翌日、クリスマスだがフィールド自然史博物館はやっていたのでティラノサウルスのスーを見に行った。フィールド自然史博物館でたっぷり一日遊んで、ホテルに戻った。今日こそはピザを食べようと思って、昨日、目を付けておいた近くのピザ屋に行ってみると閉まっていた。一度脳に食べたい物を描いてしまうと、なかなか諦められない往生際の悪さは生まれつきなのだ。ピザ屋を探してブラブラしているとピザ屋を発見、、、したが、ここも閉まっている。そう言えば人通りが少ない、というかまったくない。ようやく、危機的な状況に気が付いた。あたりを見回すと、お店らしきものはまったく開いていない。マンハッタンのクリスマスも閑散としているが、ここまでではなかった。デリは開いていたし、一部のレストランはクリスマス料金でバカ高かったが飯が喰えた。特にチャイナタウンはすべて営業していた。ロサンゼルスもそうだった。ところが、ここシカゴのクリスマスは夜の7時前だというのに人が歩いていない。車の通りも異常なほどに少ない。薄々わかっちゃいたんだが、ここまでとは。。。慌てて、食料の確保に動いたが後の祭り。レストランはもとより、マクドナルド、地元系のデリ、セブンイレブン、ダンキンドーナツはことごとく閉店。しかたなく、ブルーミングデールズやメイシーズなどのデパートにも行ってみたが既に閉まっていた。しまったなー。「アメリカのクリスマスはみんな家族と過ごすから日本みたいにレストランが混むことはないよ」とか偉そうに話していたことが恥ずかしい。しばらく、歩きまわったが、あまりの寒さに歩くのが辛くなり、タクシーを探す。が、しかし、今度はタクシーが捕まらない。ようやくタクシーを捕まえて運転手に聞いても食物が手に入る場所は見つからなかった。シカゴの鉄道の駅にも行ってみたが全滅。空港に行けば、とも考えたがさすがにそこまでするのも面倒だったのでホテルに戻った。ホテルでこのあたりに食物が手に入る場所を知らないか聞いてみたが、瞬時に「No」の答え。結局、この日は晩飯を喰わず、ミニバーにあったナッツをお摘みにビールを飲んで、ふて寝した。お腹が空いてなかなか寝付けなかった。翌朝はお腹が空いて目が覚めた。ホテルのロビーに降りると昨晩とは打って変わって人の気配が濃厚である。朝食を食べにホテルの外に出たが、通りはいつもの賑やかさが戻っていた。なんだか、夢を見ているようで不思議な気分だった。いかんいかん、腹が減って幻覚が出ているに違いない。ホテルの横にあるカフェに入った。この朝ばかりは、いつもなら「こんなにボリュームが無くても」と文句を言いながら喰っているコンチネンタルをありがたく平らげた。コンチネンタルブレクファーストが物凄いボリュームなった背景には、きっとこんな物語があったに違いない。
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トラブル [アメリカ]

2003年の夏、二週間近いの夏休みを取ってアメリカの東海岸に行った。夏休みが終わって会社に出社したら席が無いんじゃないかと心配しながら。。。行先はニューヨークとボストン。前半の一週間はニューヨーク、後半の一週間はボストンといった配分だった。ニューヨークでの一週間が過ぎてボストンに移動する日、朝早く起きてミッドタウンの東側の3rdアベニューにあるベーグルショップまで歩いて行って朝飯を喰い、腹ごなしにセントラルパークまで散歩してホテルに戻った。なんだか、ニューヨークのおいらは格好いい。ホテルをチェックアウトして、ペンステーションに向かい、ボストン行きの電車のチケットを買った。電車が到着するまで少し時間があったのでドーナツを6個買って地べたに座って2個食べた。そうこうしている間に私が乗る電車が来たのでホームに降りて電車に乗った。私のチケットはCoach Class(自由席)だったが座席はガラガラ。走り出してからドーナツをさらに2個食べた。電車は4時間ほどでボストンに到着。地下鉄に乗り換えてホテルの最寄駅から歩いてホテルに向かった。ホテルに入ってチェックインしようとしたのだが、なんだか異様な雰囲気。10人ぐらいの客と20人ぐらいのホテルの従業員が一か所に集まって口論している。嫌だなーと思いながら、チェックインしたいと言ったが、誰も私のことをかまってくれない。ホテルを予約した時の書類をバタバタさせながら、「チェックイーン」と大声で叫んだ。ホテルの従業員が一人来て。「お客さん、どこから来たのですか」と聞くので、パスポートを出して「ニッポン」と答えると、「どうもニューヨークでテロがあったらしい」と教えてくれた。「えっ、おいら今、ニューヨークから来たばっかり」と言うと、口論していた客と従業員がみんな私のところに集まって来て、てんでバラバラに私に話しかけてくる。英語が堪能な訳ではないのに、30人のアメリカ人に取り囲まれ、吊るし上げを喰らったかのように、まくしたてられると、何を言っているのか全然わからない。どうやら、私がニューヨークを出た時の状況を聞きたいようだったので、私がニューヨークを出たのは午前11時過ぎで、電車でこっちに来たが特に変わったことは無かったと話してあげた。彼らのうちの何人かがニューヨークに住んでいる家族と連絡が取れなくなったらしい。その他の人々もニューヨークの知り合いに電話をしてみたが繋がらならいと言う。みんなとても不安そうだったが、私は「しめた!テロという大義名分があれば、あと一週間会社休めるぞ」ということだった。あわよくば、こっちに永住しちゃえ、とかお気楽なことを考えていた。しかし、しばらくすると、テレビでニューヨークを含む北米大陸の北東部と中西部で大停電があったことがわかった。しかも、えらく大きな停電だったのだ。結局翌日まで停電が続いていたようだった。ボストンは奇跡的に難を逃れていて、特に電力供給が止まったり、交通網に影響が出たり、デマで混乱したりと言うことはなかった。私はホテルにチェックインした後、ドーナツを買いに出かけ、ホテルの部屋に籠ったまま、ずっとテレビで停電のニュースを見ていた。真夏の停電ということもあり、マンハッタンはとんでもないことになっていた。地下鉄、鉄道、バス、飛行機などの公共交通機関がすべてストップ。テレビでは、家に帰れない人や観光客がタイムズスクエアや路上で一夜を明かす映像を映していた。しかし、停電発生から2日もすると、いつものニューヨークに戻っているようだった。ボストンに5日ほど滞在したが、ボストンで何をしていたかあまり記憶がない代わりに、ニューヨークの状況は良く知っていた。日本に帰る日は、ニューヨークに戻ったが何事もなかったかのようであった。私は、無事に、そして不本意ながら予定通り日本に帰ることができた。休み明け、恐る恐る出社すると自分の席はあった。
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