SSブログ

体温計 [タイ]

風邪が完治していないのにマニラからバンコクに飛行機で飛んだ。またマニラに戻ってくるのでホテルに残してきた荷物の中に薬を忘れてきてしまった上に飛行機のエアコンにやられてバンコクの空港に着いた時には犬のような息をしていた。昔、もっと酷い風邪でもおいらは頑張ったさ、という意地だけでスクンビットのホテルにたどり着いた(タクシーで一直線だから楽ちんだったけど。。。)。着いて早々、アソークの薬局に行って薬を買うことにした。ここはソイカーボーイの一本手前のスクンビット通り沿いにあるロケーション抜群の薬局で、以前からイイダ君という親切な日本人の店長がいて親身に症状に合う薬を探してくれるのだ。初めてここに行ったのは、薬局だとは知らずに酔っ払って店に入り、1万円をタイバーツに両替してくれという無茶な頼みを聞いてもらった時だった。今回はイイダ君はいなかったが日本語の話せる店員がいたので症状を話したところ、「それは、フルではないですか」と言われた。今、タイでもインフルエンザが流行っているそうである。確かに熱を計ってはいなかったが、かなり熱が高い感じがするのは確かだ。一応、その線も考慮して薬を選んでもらったが、結局出てきたのは見慣れた「アドビル」だった。お金を払って店を出て、タクシーでホテルに戻る途中、体温計も買ってくればよかった、と後悔した。タクシーはもうホテルの近くまで来てしまっていたので、ホテルの裏にあるショッピングセンターで体温計を買うことにした。ショッピングセンターですぐに薬局を見つけ、身振りで熱があって体温計が欲しいと伝えると一発で通じた。店員が6種類の体温計を持ってきてくれた。3種類は電子式、残りの3種類は水銀式だった。値段はやはり水銀式の方が安く、水銀式の一番安いのが50バーツ(日本円で150円くらい)で、一番高い日本製のオムロンの電子式が500バーツ(日本円で1500円くらい)と開きがある。中でも、水銀式の一番安いのは他の水銀式と比べても安すぎな感は否めなかった。しかし、2~3日使えればいいので50バーツの一番安い水銀式体温計を購入してホテルに戻った。早速部屋で体温計を取り出してみると水銀は35℃の位置にあったのでので、軽く振ってから脇に挟んだ。1分計か3分計か不明だったが、とりあえず1分間計測した。38.3℃。急に気力が萎えてきた。念のためもう一度3分計ってみることにした。今度は強く2~3度振ってから脇に挟んだ。結果はまったく同じ38.3℃。熱を計った後、熱があることがわかると急に具合が悪化するから熱を計るのが嫌いだ。もう、今日は寝ようと決めて、薬を飲み、まだ宵の口だというのに眠ってしまった。翌日、目が覚めても節々が痛いので、昨日買った体温計で体温を計ってみた。38.3℃かー、全然下がってないじゃん。というか、昨日2回計った時も38.3℃だったぞ。なんか変、と思って体温計を強く振ってみたが水銀が下がらない。いや、そんな訳はない。なにかコツ、というかタイならではの方法があるはずだ、と思って逆さまに持って振ってみたり、机に軽くトントンしてみたが駄目だった。壊れているのか不良品なのかはわからないが、結果的に水銀が下がらない使い捨て?だった。ちなみに、体温計の先端の水銀のところを指で摩擦して温度を上げてみたが、ちゃんと42℃まで上がった。まー、150円だし、もともと使い捨てでもいいと思ってたくらいだからいいんだけどね。一人で笑い転げてたら、少し元気になってきた。やっぱり、病は気からなのである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

風邪 [フィリピン]

マニラで風邪をひいた。到着後早々にひいてしまったようだ。私は、しばしば旅先で熱を出したり、風邪をひく。かつては病気の達人とか病気のデパート横浜支店と謳われた男である。4月のマニラは日中35℃近くあって寒気がしないので比較的楽だ。ホテルの中ではエアコンを止めて布団に包まって寝てしまうだけなので問題ない。ただ、食欲が無く、歩くのがしんどい。旅先で寝ているだけだともったいない。そういう場合は気合と薬で乗り切ることにしている。薬はアメリカの薬が安くて効く。薬屋に行って、風邪だと言うと適当に薬を選んでくれる。以前、アメリカで風邪をひいた時、初めてアメリカの薬屋に薬を買いに行った。薬屋で、熱はどうだ、咳はどうだと聞かれ、最後に「いつもはどんな薬を飲んでいるか」と問われた。普段はバッファリンを飲んでいるのだが、あれは日本の薬だし、そもそも風邪薬ではないからなー、と困っていると、「どんな薬だ、どんな薬だ」と畳みかけてくる。しかたが無いので「バッファリン」と言ってみると、「あー、バッファリンね」とあっさり理解されてしまった。あれっ、日本の薬なのに知ってるんだと思ったら、バッファリンはもともとアメリカの薬でアメリカでも売っているらしかった。ただ、バッファリンはなかったので同じ成分のアスピリンをくれた。このアスピリンはえらく安く、確か100錠で5ドルくらいだったように記憶している。余談だが、以前アメリカのホテルで怪我をしたのでフロントでバンドエイドをもらおうと思った。しかし、バンドエイドを英語で何と言うのかわからず「指、傷、カット、血、テープ」と言ったらセロテープを出された。やけくそで「バンドエイド」と言ったら、ちゃんとバンドエイドをくれた。世界は狭く、私の知識は浅いのである。最近は海外で熱が高くて関節が痛かったりするとアメリカのファイザー製薬のアドビルという沈痛薬を処方される。これがデカいタブレットで良く効く上、眠くならないので愛用している。今回、フィリピンでアドビルを買うのは初めてである。ホテル近くの薬屋でアドビルを購入したが、10錠で80ペソ、日本円で180円くらい。日本だと同じ成分のエスエス製薬のイブを飲んているが、薬屋で買うと一回り小さいタブレット24錠で500円くらい。日本より少し安い。この薬のおかげで、毎日元気に遊んでいられた。そして、ホテルに帰って倒れこむように眠りに就いての繰り返し。もし、「GWは海外に何しに行ったんですか」と聞かれたら「風邪を治しに」と答えるつもりだ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

羽田空港 [フィリピン]

フィリピンのマニラ行きの飛行機に乗るため羽田空港に来た。最近は羽田空港の利用頻度が増えてきた。チェックインした後、ラウンジで新聞を読んでいたら、背後から肩をドンドンと叩かれた。叩いた方向を見ると知らない若い(といっても30歳半ばくらいだが)男性がいた。「あっ、すみません」と、ビックリしたアホ面をしていたであろう私以上にビックリしているその男性が言った。私を友人と間違えたらしい。GWにその友人と二人でバンコクに遊びに行くそうで、羽田のANAラウンジで待ち合わせしているらしかった。なんでも、私のゴミのようなバッグにデルタ航空のゴールド・メダリオンのタグが付いていたので間違えたらしい。彼が「お仕事ですか。ビジネスクラスで?」と言うので、イヤイヤ、単なる遊び、しかもシートクラスはエコノミー。ラウンジにいるのは単に「ラウンジ乞食だから」と私が答えると笑っていた。「スカイチームとスターアライアンスの両方で上級会員なんですね。凄いなー。私の友人もそうなんです」。おいおい、舐めてもらっちゃ困る。おいらこう見えてもスカイチームとスターアライアンスの他にワンワールドだってJGCだ。結局30分くらい上級会員自慢、航空会社、航空機や空港、そして東南アジア旅行の話などをひとしきりして彼は立ち去った。面白い男だったが、彼は友人を見つけられたのだろうか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

休暇中 [休暇中]

day_off.jpg
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

仁川空港で寝る [韓国]

韓国の仁川空港は近年とみに評価が高く、満足度調査ではシンガポールのチャンギ空港を凌駕することもある。まー、満足度調査などというものは金さえ出せばなんとでもなるものだが。。。チャンギ空港はベテラン大御所の北島三郎なら、仁川空港は最近メキメキ頭角を顕わしたAKB48なのだ。その比喩ではよくわからんという方には、川奈まり子対宇都宮しをん、と言った方が理解しやすいのではないか。まー、そのあたりのことはどうでもいいのだが、、、この空港は新しく、とても綺麗である。朝から深夜まで賑やかな空港だ。この空港の良さは乗り継ぎが便利なところ。乗り入れている航空会社や飛行機の便数が非常に多くとても便利なのだ。しかも、東京から目的地に行くよりも時間はかかるが、航空会社によっては安く航空券を購入することができる。私も仁川空港はかなりの頻度で利用する。アジアへの便は大韓航空を利用すると、日本の航空会社を利用するよりかなり安い。空港は明るく清潔である。フードコートは24時間営業している。当然、フリーwi-fiは使用できる。ベンチは完全に横になることができ、周囲は比較的静か。しかも、空港内で巡回している警備員を良く見かけるので安全性が高い上にベンチで寝ていても怒られない。空港スタッフの態度がとても良いことが感覚的にわかる。トイレも広くて清潔なのである。しかし、中国人と韓国人が多いので、彼らが団体でいるととてつもなくうるさいのが欠点。また、日韓関係に影響を及ぼすニュースが流れるたびに神経質にならざるを得ないのは困りものである。寝るのであれば、時間帯にもよるが東ウィングか西ウィングの突端が静かでいいと思う。しかし、何かが足りないんだよなー。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

アヌラダプーラのタクシー運転手 [スリランカ]

スリランカに行った時、珍しく世界遺産を見てみようと思った。スリランカに到着した日は、ホテルに着いたのが朝方だった上、到着早々低血糖症が出てしまったので外に出なかった。二日目は一日中プールに浸かり、マッサージを受けて体調を整えた。そして、スリランカ到着三日目、アヌラダプーラの世界遺産に行ってみることにした。ホテルでアヌラダプーラの世界遺産の様子を聞くと、あっちこっちに遺跡が点在するから歩きで廻るの大変らしい。三輪タクシーかタクシーをチャーターするといいと教えてくれた。ホテルを出て、プラプラと歩いていると、すぐに三輪タクシーを捕まえることができた。運転手のおっさんにアヌラダプーラの有名な遺跡だけを廻ってくれと頼むと、たくさんある遺跡のうちの7か所を廻って2,000SLRs(1,400円くらい)だと言う。ホテルで三輪タクシーを半日チャーターして1,500SLRsと聞いていたので、私が500SLRsしか払えないと言うと、おっさんは5か所で1,000SLRsでどうだと代案を出してきた。交渉の結果3か所を廻って500SLRsで決まった。午前中、2か所を廻ったが、真面目に遺跡の中に入って見ていたので意外と時間がかかった。お昼になってお腹が減ってきたので、運転手のおっさんにこのあたりで何かメシを喰えるところに行ってくれ言うと、遺跡から少し離れた小さな食堂に連れていってくれた。そして、私が三輪タクシーを降りて食堂の方に歩いていくと、おっさんも付いてくる。そーか、こいつが、いつも昼飯を喰ってるところか。日本でもタクシー運転手が行く飯屋はウマいと言うから、これは期待できるぞ、と思い店の中に入った。まず、運転手が何か頼んでいた。私も豆のカレー&ライスと色が黒っぽいプリンを頼んだ。運転手のおっさんと席に着いて待っていると、おっさんにカレーとライスとパン、そしてコールスローのようなものが運ばれてきた。私にも豆のカレー&ライスとプリンが来た。勇んで食べたがあまり美味しくない。と言うか、カレーが不味い。おっさんが喰っていたコールスローのようなものは何か聞いてみたら、「マッルン」というサラダだと言う。喰うか、と言うので、少しもらったが、これもあまり美味しくなかった。やはり、ホテルで食べたカレーとは違うのだ。プリンのようなお菓子も出てきたが、これも美味しくなかった。あっちこっちでプリンを食べるのを楽しみにしているが、ここのプリンは残念な結果に終わった。スリランカのプリンが美味しくなかったことへの考察は今度にしよう。食事が終わって支払いをしようとすると「300SLRs」と言われた。スリランカでは、特に観光地ではツーリスト価格があってあたりまえのようにボラれるということは知っていた。コロンボでも街の食堂で肉が入っていないカレーだと100SLRs以下だというのは、軽くググればすぐわかるのだ。珍しく事前に情報を調べていた私は、毅然とした態度で「高い。200しか払わない」と駄目もとで言ってみた。本当は、200でも300でもどっちでもいいのだが。すると店のおばちゃんが、この人の分と二人分だと運転手のおっさんを指さすのだ。おっさん、ニコニコ笑ってるけどお金払ってなかったね。二人分にしたら適正価格っぽいな。まー、いいよ。韓国のタクシー運転手に比べたら可愛いもんだ。お昼代は払ってあげるよ。と、失われた信頼関係の中、午後の遺跡見学に向かったのだった。(おしまい)
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

スープカレー [スリランカ]

スリランカのリゾートで良さげなのがあったので行ってみた。友人に「カレーが嫌いなのにスリランカに行くんだ」と言われた。実は私はカレーがあまり好きではないのだー。スリランカに行く前にトレーニングの意味でカレーを食べた。スリランカ・スープカレーというカレーだった。存外いけるではないか。そして、その数日後・・・成田空港に着いて出発前に航空会社のラウンジでカレーを喰った。成田を出発し香港乗り継ぎでコロンボに到着するまで15時間。飛行機の遅れはあったものの、やはり遠い。香港からスリランカまでの機内食にチキンのココナツカレーが出た。完食。カレーが好きになったかもしれない。スリランカの空港はカレーの臭いがした。おいら老人だから加齢臭がする。異国の空港ではその国の美味しい食べ物の臭いがするものだ。台湾の桃園空港の古いターミナルは魯肉飯の臭いがする。そして、上海の浦東空港では紅焼肉の臭いがするし、昔の香港啓徳空港は八角が効いた東坡肉の臭いがした。空港の外に出て、頼んでおいたホテルまでの送迎を探した。すぐに私の名前を書いた白い紙を持った運転手を発見。ホテルまでは距離にして約200キロ、3時間半と聞いていた。ホテルに到着したのは朝5半時だった。チェックインした後、強烈な空腹感に襲われた。すぐに持病の低血糖症だとわかった。低血糖症が出ると異常に空腹を感じるが、大抵は甘いものを食べると納まる。ミニバーに置いてあったチョコレートを食べて少し落ち着いたが、やはり何か食べたい。ルームサービスを頼もうと思ってフロントに電話したが、この時間はやっていないと言われた。そして、あと1時間で朝食の時間になりますよと教えてくれたが余計にお腹が減ってきた。「なんでもいいんだけど」と私が頼むと、少し待っててくださいと言って電話を切られた。あれっ、どうなっちゃったんだろうと思い、もう一度電話をしたが誰も出なかった。手が震え、冷や汗が止まらず、お腹減ったよ~、と悶絶していた。そして30分ほどすると誰かがドアをノックするのでドアの覗き穴を覗くとホテルのスタッフがいた。そのスタッフは食べ物を持ってきてくれたのだった。彼がテーブルに置いたのはカレーだった。おおっ、本物のスリランカカレーだ。しかもスープカレーだ。カレーを持ってきてくれたスタッフにチップを渡し、今となっては好物になってしまったカレーを貪り喰った。物凄く辛かったが物凄く美味かった。もはやカレーは大好物の領域に入ってしまった。そして、疲れていたのかカレーを喰った後、気絶するように眠ってしまった。それでも、お昼にはお腹が空いて目が覚めた。着いたばかりで周囲の状況もわからないのでホテルのレストランでお昼を食べることにした。レストランにはフレンチだのイタリアンだの小賢しい料理もあったが、ここは男らしくチキンのカレー&ライスを頼んだ。出てきたのは、まさしくスリランカ・スープカレーである。スリランカで喰う正統スリランカ・スープカレーは実に美味かった。近くにいたスタッフに「スリランカのスープカレーは美味しいね」と話かけたが、「スープカレーとは何だ?」と質問された。いや、このカレーのようにスープのカレーとライスのことだと説明したが、彼は「これはカレーで、それはライスだ」と言う。彼の話ではスープカレーなどというものはスリランカにはないのだそうだ。スリランカのカレーは総じてスープのようにシャバシャバしている。そして、それは、あくまでカレーでありライスであり、それを一緒に喰うからカレー&ライスなのだ。そうだったのか。おいらが日本で喰ったスリランカ・スープカレーは何だったんだ。なんだか釈然としないが、どうでもいいことなので、それ以上の詮索を控えた。結局、スリランカに5日間滞在したが、朝食以外は全部カレーだった。しかし、スリランカでカレー好きになった私は、日本に帰ったら元のカレー嫌いに戻っていた。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

チャンギで寝る [シンガポール]

シンガポールの国際空港はチャンギ国際空港。いろいろな満足度調査で長年にわたり上位にランクされ続けている空港である。この空港の評価が高いのは、ひとえに使い勝手の良さにある。空港は24時間オープン。出発前のチェックイン、搭乗待ち、搭乗、そして、到着後のイミグレーション、荷物のピックアップ、トランスポーテーションのすべてにわたって洗練されてそつが無い。ターミナル内ではwi-fiやPCが無料で使えるのは当たり前、有料だけどプールもある。ただ、ここのプールで若くて綺麗でスタイルの良い女性を探しても無理。欧米の老人が多い。自分も老人だけど。。。さらには、トランジットでシンガポールの観光ができるサービスがあったりもする。すでに開港して30年以上が経過するが不満が少ない上に、日々進化し続けているのだ。そして、セキュリティが良い上、清潔で静か。なので空港内で寝ている人が非常に多いのである。それだけ快適ということなのだろう。空港内にはトランジットホテルや有料の仮眠設備もあるのだが比較的高い。私もこの空港で何度か寝たことがあるが、確かに短い時間なら安心して熟睡できる。試してみるのは自由だが、すべて自己責任でお願いします。しかも、嬉しいことに、この空港は床がカーペット、場所によっては絨毯なのである。私は、だいたい航空会社ラウンジの入口近くで、明るくて、既に先に寝ている人がいて、しかも、その先客が若い女性であるところを探す。航空会社ラウンジの入口近くを探すのは、明るくて比較的安全だから。もし何かあれば大声でラウンジに助けを求めることができる。先客がいるところ、しかも女性が寝ているというのは、何よりその場所が安全であることの証左に他ならない。別に寝ている女性を襲うとか、何か変な事をしようという訳ではない。しかし、その女性が目覚めた時に変な事が起きそうになっても、それを拒むつもりもないが。私が初めてチャンギ空港で寝た時は金属製のベンチの上に横になって寝たが、緊張していたせいか熟睡はできなかった。その時、私の近くで寝ていた人たちはタオルケットのようなものを持参していて、絨毯の床の上でタオルケットにくるまって快適そうに寝ていた。確かに絨毯の床の上の方が安定しているので寝やすいことがわかった。2回目からは床の上で短い時間熟睡できるようになった。ただ、この空港は海外の施設にありがちなエアコンの効きがハンパなく強力なのである。Tシャツ1枚で長時間寝ていると絶対に風邪をひく。あとは、空港内で食べられる食事の種類が少ないことが欠点だろうか。今後は、そのあたりを改善していただきたいということを論じつつ本文を終わります。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ソウルのタクシー運転手 [韓国]

もう20年以上前、初めて韓国のソウルに行った時、空港は今の仁川空港はまだなく金浦空港だった。金浦空港の臭いは冷麺の臭いだった。ソウルのタクシー料金は安かったので移動にはタクシーばかり使用していた。初めての韓国はソウルに二泊三日で焼肉が目当てだった。夕食時にホテルでタクシーを捕まえてもらい、ガイドブックに書いてあった焼肉屋に出かけた。タクシーの運転手は日本語が上手で調子の良いオヤヂだった。ホテルを出ると運転手が「この店より美味しい焼肉屋を知ってるよ」と、こちらが聞いてもいないのに勝手に話し出した。私が「高いんだろう」と聞くと「そんなことない。最高級のカルビだけど高くないよ」と運転手が答えた。当時、まだ海外旅行の経験もあまりなく、純粋だった私は、日本語の上手な運転手に気を許していた。どーしよーかなーと迷っていると、運転手が「お金は、いくら持ってますか」と私の心の動きを見透かしたように追い打ちをかけてくる。私が「3万5千ウォンくらい」と正直にに答えると、運転手は「私の知ってる店は、最高級のカルビを出します。値段は3万5千もしないよ」と言うので、「じゃー行ってみようか」と運転手の言う店に行ってみることにした。店に着いたが、なんとなくボロっちい焼肉屋だった。運転手に手招きされて焼肉屋に入ると、運転手と店のおばちゃんが韓国語で何か話している。運転手が「飲み物は何がいい?今、最高級の焼肉のセット頼んだよ」と言うので、私はビールを頼んだ。親切と言うか世話好きなオヤヂだなーと思っていると、ビールとグラスが2個来た。私が「ん?」と思っていると、運転手が二つのグラスにビールを注いで、「カンパーイ」と言いながらビールを飲んでいる。私は「それは、おいらのビールだよな」+「今、勤務中だろ」+「飲酒運転じゃね」の三つの疑問が渦巻いていたが、ビールと一緒に飲み込んだ。その間に焼肉の準備が着々と進み、七輪がセットされた。焼肉のセットが来たが、量が多く、明らかに一人前のそれではない。呆気にとられている間にタクシーの運転手が焼肉を七輪で焼き始め、「いっぱい食べてください」と私に言うではないか。そして、私に「いっぱい食べてください」と言っていた運転手が焼肉をいっぱい食ている。しまいには、「お客さんも遠慮しないでください」とか言ってくる。面白いことを言うじゃないかソウルのタクシー運転手。ひとしきり食べたが、大量の焼肉は喰いきれずに残してしまった。タクシーの運転手は、爪楊枝をくわえ、「美味しかったね」と言って腹を擦っている。確かに美味かったが、おいらがいつおまえに馳走すると言ったんじゃ。店を出る時、店のおばちゃんに焼肉の金額を書いた紙を渡された。その紙には”34,800”と書いてあった。あれっ、おいらの所持金じゃん。気持ちが悪いくらいの偶然だな。いやー、お金が足りてよかった、、、じゃねーし。”やられた”と思ったが、後の祭り。確かに運転手は「3万5千もしないよ」と言ってはいたが。。。しかたなく34,800ウォンを払って店を出た。そこには、嬉しそうに私を手招きするタクシーの運転手の姿があった。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

5時間だけ入国拒否 [フィリピン]

私が異国の地に着いて最初に異国であることを強く認識する場所は入国審査場だ。日本ではありえないような秩序を欠いた並び方で入国審査を待つところが、あー、もう日本じゃないんだということを猛烈に感じる。当たり前だが、審査官は外国人で質問される言語は外国語。不思議な事にどこの国の審査官も無表情でクールだ。深夜0時をまわってマニラに到着し、入国審査の長い列に並んだ私は思った。しかし、そんなことで闘争本能が萎えてしまうような私ではない。一気にへらへら笑顔モードに切り替えた。私が並んだ窓口の審査官は、やはり無表情。日帝からやって来たエロオヤヂに強大な軍事的力を総動員して無慈悲な鉄槌を食らわすであろうと待ちかまえていた。パスポートと書類を出すとカチャカチャとキーボードを叩きながら滞在日数、ホテル、目的を質問した後、私のパスポートを持ってどこかに行ってしまった。早く入国したいなーと思っていると審査官が戻ってきて、前回フィリピン出国の際に一度取り消しの履歴があるが何故かと聞いてくるではないか。そんなの知らないと言うと、入国審査を中断し、列の後ろで待ってろと言われた。列の後ろに行くと別の審査官が来て、前回フィリピン出国時に一度出国を取り消して、再度出国した履歴があるけど何故かと同じことを聞かれたが、正直、何故もクソも知らない。何故そうなっているのかこっちが聞きたいと言うと、その審査官も私からパスポートを奪ってどこかに行ってしまった。審査官が戻って来て、もう一度列に並び直して入国審査を受けろと言うではないか。さすがに腹が立ってきたが、彼らの国権の行使に対してはあまりに無力である。審査官の機嫌ひとつでおいらの入国が許可されないという事態も起こりうるので、しかたなく長い列の最後尾に並び、入国審査をやり直した。審査官は、さっきと違うヤツだったが、相変わらず無慈悲な鉄槌を食らわせそうな感じであった。そしてヤツは、パスポートを出せと口で言わずに、カウンターを手でドンドンドンと叩くではないか。それまで比較的冷静に対応していた私もその音に軽く切れた。私はパスポートをガラスの仕切りの開いているところにポーンと放り投げた。すると、その審査官は目を三角ににして私を睨みつけて早口の英語で捲し立てた。全部は聞き取れなかったが、どうやら私は入国を拒否されたらしい。ありゃりゃ。しかも、6時まで。。。6時まで入国できないのかと聞くとそうだと言われた。6時って午前か午後かと聞き直すと、午前6時だと言って私のパスポートを投げ返した。そしてあろうことか、手で”シッシッ”と窓口を追うではないか。午前6時ってあと5時間以上もあるぞ。しかし、本当に午前6時を過ぎると入国できるのか。えらい腹が立ったが、まずは入国することが先決である。ダメもとで、別の列に並び、再度入国審査を受けてみることにした。さっきの窓口から一番離れた列に並んで、入国審査を受けてみたがダメだった。やはり、午前6時になったら入国できるから時間になったら来いと言われた。しかたなく隅っこの空いているスペースを見つけて座りこんで待っていたが、しばらくしたら寝てしまっていた。時間をつぶし、ようやく6時過ぎになったので入国審査の列に並び審査を受けたが今度は大丈夫だった。もしかしたら入国できないと思って軽く焦った。入国できて良かった。友達に話したら、強制送還されなかっただけ良かったと思えと言われた。多くを学んだ私は、それ以降、入国審査では笑顔を絶やさず、紳士的な振る舞いを自分に言い聞かせている。この国に入国出来なくなるのは、、、困る。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

アオザイ [ベトナム]

アオザイとは、言わず知れたベトナムの民族衣装である。最近、検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分な記事のWikipediaには次のように記載されている。「アオザイとは、正装として着用するベトナムの民族衣装。アオ(襖)は上衣の一種を意味する中古音で、ザイはベトナム語で「長い」を意味する形容詞。つまり「長上着」となる。「アオザイ」はベトナム北部方言の発音であり、南部方言では「アオヤイ」と発音する。女性用アオザイの美しさは世界的に認知されており、土産物としても人気が高いが、オーダーメイドが基本のため購入には手間がかかる。」 「アオザイ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2014年4月18日 (金) 16:40 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%B6%E3%82%A4

アオザイは首から腰回りまでぴったりしていて体のラインがはっきり出てしまうのでスタイルの良いベトナム人女性がアオザイを着ると本当に素敵である。しかも腰の上くらいまでスリットが入っていて、自転車などに乗っていると、ゆらゆら薄くて軽いアオザイが風に揺らめいて優雅な蝶々のようで、なんとも艶めかしい。これは決していやらしいオヤヂの感想ではなく本当に美しいのだ。別に制服プレイとかを念頭に置いての発言ではない。以前、ベトナム航空のCAさんが教えてくれたところによると、今はそんなことはないが昔の女性はアオザイに合わせるために体型を維持していたと言っていた。まるで体の纏足である。アオザイは普通に来ても下着が透けて見えることがある。最初はちょっと興奮したのだが、こちらでは、いたって当たり前のことだったので、そのうち慣れてしまった。しかし、このアオザイ、特に白いアオザイは雨に濡れると完璧に透ける。ベエトナムの女子学生の制服は白いアオザイと白いズボンなので雨に濡れると薄いアオザイが肌にぴったりと張り付いて透けて見える。彼女たちは全力で自転車を漕ぎながら、これでもかっ、というほど透けた下着を見せてくれるのだ。雨は嫌いだが、ベトナムの雨はオツである。しかも、こっちが目を皿のようにして女子学生を凝視しても、彼女たちはまったく意に介さない。これでヴィエトナムは私の好感度1位に躍進した。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅の武器 [旅]

今まで海外に行って、直接的に命にかかわるような危険な目に遭ったことはほとんどない。事故に遭うとか、酷い病気になるとか、暴力を振るわれたり脅かされたり、物を盗まれるとか、まったくといっていいほどない。交通事故などに遭って怪我をしたことはないし、病気も酷い腰痛や酷い風邪はあったがはっちゃけ過ぎて疲れるくらい。暴力など振るわれそうになったことすらない。一緒に行った友人がお金や所持品を盗まれた、、、ということはあるが私は一度もない。強いて言えば現地の若くて綺麗な女性にオッサンのハートを盗まれるくらいが関の山である。決して、まったく危険な場所に行かない訳ではないが、何故か危険な目には遭わないのである。いつでもしっかりしているかと言われれば、そんなこともない。確かに道路を渡る時は左右をキッチり見て渡るが、東南アジア、特に車優先の中国ではそうしないと死んでしまうからそうしているだけ。いつでも呑気でボーッとしているし、そもそも人生がうっかりな人生である。へらへらと笑いながらお気楽で隙だらけなのに大丈夫だ。理由を考えてみたのだが、いつも”へらへら”笑っているのがいいようだ。本で読んだのだが、ヒトは常に相手の表情を無意識のうちに注視しているんだそうだ。怒っているとか笑っているとか、また、恐れているとか困っているといった相手の表情は通常の目で物を見て脳の中で行われる視覚処理とは異なる場所や方法で処理されているらしい。相手が笑顔を浮かべると、自分が笑顔を浮かべた時の気持ちと照合して、笑顔を敵対心の無い親愛の情であると判断しているという。もし、これが本能に近い部分なのだとしたら、文明の無い国に行った時の方がより一層へらへら笑っていればなんとかなりそうである。そして、もし、異国の地で若くて綺麗な女性を発見したら、一目散に女性の近くに移動して、へらへらと笑いかければいいのである。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ヒースロー空港 (その参) [イギリス]

(続き)
今度はモントリオール行きの飛行機にちゃんと乗れた。ったくよー。ずいぶん時間を無駄にしたもんだ。飛行機はそれほど混んではいなかった。私の3列掛けのシートには私しかいないため、ひじ掛けを全部上げて悠々と横になれた。これなら快適である。無駄にした時間も無駄ではなかったようだ。ようやく大西洋を横断するのだ。ワクワク。客室ドアが閉まったのだが、これがなかなか出発しない。そのうち”保安上のなんちゃらで”というアナウンスが流れ、男性のパーサーが私の斜め後ろにいるインド人風のアジア人のところに行き、何か話しかけた。すると、インド人風の人が男性パーサーに大声で文句を言い出した。そのインド人風のアジア人はパキスタン人だった。そのパキスタン人は家族で乗っていたようで、男性パーサーvsパキスタン人+その家族5人という口論が始まり、周囲は騒然となった。どうやら保安上の理由で、そのパキスタン人に飛行機を降りるように男性パーサーが説得するのだが、パキスタン人とその家族が頑として降りると言わないことで口論となっていた。そんな説得が30分ほど続き、突然客室ドアが開いた。開いたと思ったら何人かの空港職員とブリティッシュエアウェイズの職員らしき人たちが入ってきてパキスタン人のところに行き、また説得が始まった。周囲の乗客は圧倒的に「もう、とっとと降りてってくれ」という雰囲気になっていた。そんな完全アウェイの中、パキスタン人とその家族は徹底抗戦の構えだった。その抵抗は、アントニオ猪木にアームロックを決められてもギブアップしなかったアクラム・ペールワンのように頑強だった。そして、また30分間の説得が続いたが、パキスタン人は諦めない。ついに、ブリティッシュエアウェイズ側はしびれを切らし、作戦の変更を余儀なくされた。空港職員が携帯電話でどこかに電話を入れ、しばらくすると、またまた閉まっていた客室ドアが開いた。今度は、ヘルメットを被って前後にプロテクターを付けた2人の警察官が登場した。ヘルメットにプロテクターなんて反則ではないか。どうやら、この戦いも最終局面を迎えたようだ。緊迫の度合いはいやがうえにも増した。ついには、さしものパキスタン人も降参し、自ら自発的に降りていった。その姿はジャイアント馬場に2R腕挫十字を決められてギブアップしたラジャ・ライオンのように悲しげであった。ちなみに、ラジャ・ライオンはパキスタンのカレー屋で働いてた一般人だというのが通説だ。騒動が起きてから1時間以上。そして、さらに出発までに1時間を要した。ようやく飛べると思ったが、なんだか降ろされてしまったパキスタン人が可哀そうに思えてしかたがなかった。同じアジア人としては複雑な心境だったなー。しかし、今日は酷い一日だった。(終わり)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ヒースロー空港 (その弐) [イギリス]

(続き)
飛行機に乗り遅れた私は、予約をし直しにブリティッシュ・エアウェイズのカウンターに行った。カウンターは物凄く混んでいた。みんな乗り過ごしたのかな、、、なんてそんなことない。私の番が来たのでカウンターに行き、乗り過ごしたことを話すと、チケットを調べ始めた。そして、物凄いスピードでコンピューターのキーボードを叩いて、すぐに私のチケットが変更可能なチケットであることを確認し、どうするか聞かれた。一応、もともとは、ロンドンからボストンを経由してカナダのモントリオールにその日の夜に着く予定だった。そのため、モントリオールにホテルを取っていたので、夜遅くてもいいから今日中にモントリオールまで行きたい、と言うと、再び物凄いスピードでキーボードを叩いて便を探し始めた。すると、ちょうど、モントリオール行きの直行便に空席があるという。しかも、今日中にモントリオールに着ける便だ。おおっ、それはナイスではないかと、二つ返事でその便を予約してもらうことにした。少し時間がかかるから予約が終わったら連絡するから、それまで空港ラウンジに居ろと言われた。そして、ラウンジに戻って待つこと30分。なんの音沙汰もないので、ラウンジのスタッフに聞いてみたが何も知らないと言う。さっきの予約のカウンターに電話してもらったが、そんな予約は入ってないと言われた。再び、さっきのカウンターまで行って話をしたが、やはり私の再予約は入っていなかった。しかたがないので、もう一度、経緯を話して再予約を入れてもらうことにしたが、少し時間がかかるから予約が終わったら連絡するから、、、とさっきと同じことを言われたので、ここで待っているからすぐに予約を入れてくれとお願いした。その相手は面倒くさそうな顔をしてキーボードを叩き、ものの1分で私の再予約が完了した。最初っからやれよ。こうして私のモントリオール行きの再予約が完了した。ボーディングパスを確認したが、やはり「Gate Close Time」と書いてある。もう、遅れないぞと思い、まだまだGate Close Timeまでたっぷり時間があったが早めにゲートに移動して、ゲートの椅子に座って待つことにした。飛行機の時間にピリピリするのは疲れるものである。(続く)
nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ヒースロー空港 (その壱) [イギリス]

ロンドンのヒースロー空港からアメリカのボストンローガン空港までブリティッシュ・エアウェイズで飛んだ。生まれて初めて大西洋を横断した。大西洋を初めて横断することもあってドキドキした。空港で飛行機を待つ間も、なんだか変に高揚していた。興奮して空港に早く着きすぎ、お昼前出発なのに5時間前にチェックインしてしまった。空港ラウンジで遊んでいたが時間を持て余してきた。やることがないので空港内を行ったり来たりしたりして時間をつぶした。広い空港なので、それなりに遊ぶことができた。ボーディングパスに書かれている搭乗開始時間を確認したが、まだ時間があったので、何か食べたり、飲んだりしていた。チップスをつまみにリアルエールを飲んでいたらちょっと酔っ払ってしまった。しかし、まだ時間がかなりあったので、ラウンジに戻って椅子に座って少し寝た。目が覚めたが、まだ少し時間があったので、ネットを見たり、お手洗いに行ったりした。念のため、もう一度搭乗開始時刻を確認すると、時間までもう少しになっていた。搭乗ゲートまで歩いて5分くらいということだったので、ギリギリにラウンジを出ることにした。搭乗開始時刻になったので、ラウンジを出て、搭乗ゲートまで歩いて行った。階段を降りて搭乗ゲートに行くと、出発前の人が殺到するようなざわめきがない。あれっ、時間変更になったのかなー、と思って職員を探した。すると、何人かの職員がこちらに向かって歩いてきたので、ボーディンぐパスを見せて、この便はこのゲートでいいのか聞いてみたら、「このゲートでいいけど、たった今搭乗を締め切った」と言われた。その職員が言ってる意味がわからず、「だって、搭乗開始時刻が今からだから、それはおかしい。搭乗開始が早まるともアナウンスしてなかったぞ」と言い返すと、彼は私のボーディングパスの”搭乗時刻”のところを指さしていた。指の先を良く、そしてもう一度見てみると「Gate Close Time」と書いてある。おやっ、、、ゲートが閉まる時間じゃん。そんなの、聞いたことがない。今まで、何度もブリティッシュ・エアウェイズを利用したことがあるし、ヒースロー空港を利用したこともある。でも、「Gate Close Time」なんて書いてなかった。。。「父親が危篤なので、乗せてくれ」と嘘を言ってみたが駄目だった。大声で喰い下がったが後の祭りだった。そして、やむなく予約をし直しにブリティッシュ・エアウェイズのカウンターに行ったのだった。トホホ。(続く)
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

Coffeeshop [オランダ]

オランダには有名な”コーヒーショップ”というものがある。大麻が買えるお店である。よく、くだららん冗談で「オランダでコーヒーショップに入ったら大麻が出て来て驚いた」とかいうのがあるが、そんなことはありえない。もはや世界中に認知されていてオランダでコーヒーショップに行くのは大麻を吸いに行くのである。行ったことがないが。コーヒーショップは街中で堂々と営業していて、しかも目立つ看板に”Coffeeshop”と出ているので見紛うことは無い。私は「おー、これがあの有名なコーヒーショップか」と見るだけで、その場を立ち去った。店の中はそれほど広くはなく、大抵はテーブルと椅子があるだけで、比較的窮屈な感じの店が多い。らしい。毎日、外から店内を覗いていた店はサイケなポスターが所狭しと貼ってあり、いかにも大麻を吸いそうなインテリアである。そのコーヒーショップには小さなカウンターがあってカウンターの中にオヤヂが立っている。オヤヂは店に入った客の好みの大麻や飲み物等を提供するのである。聞いた話だが、店には”メニュー”があるらしい。あまり大麻を吸ったことがないので軽めのヤツはあるかと言えば軽い大麻を提供してくれるみたいだ。そして、ビールはいらないかと聞かれるが酒が飲めないと答えると「大麻はコーラとやるのがいいんだ」と教えてくれると聞いたことがある。そんな時は素直にコーラを頼むといいようだ。価格は聞いた話だからイマイチ信用がおけないが、その軽い葉巻のような大麻は6ユーロだとか。それが高いのか安いのか適正価格を知らないのでよくはわからない。火をつけて煙を吸い込んでも煙草とたいして変わらない、だろう。吸い終わって店を出ても、なんら変化が無いらしい。じゃー、ホテルに帰ろうか、と思いトラムに乗ったと仮定する。トラムの椅子に座って、気が付くと降りる駅を乗り過ごして終点に着いてしまっていたとのこと。一度降りて、またお金を払い直して乗り、今度はちゃんと降りるぞ、と気合を入れて座っていたら、いつの間にか反対の終点に着いていたんだと。しかし、彼に聞くと、眠っていた訳ではなく、意識はちゃんとあるのだそうだ。そして、瞬間移動のようにあっと言う間に終点に着いているんだとか。なんとなく、危ないと感じたのでタクシーに乗ってホテルに戻ったそうである。その時も瞬間移動だったと言っていた。ホテルに着いて、少し眠くなったのでベッドに入ったらすぐに眠ってしまったと伺った。翌日は寝起きが爽やかで、時計を見ると12時間くらい寝ていたと話してくれた。これはすべて人から聞いた話である。そして、これはフィクションであり実際の人物、団体とは一切関係ありません。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ニャチャンの仙人 [ベトナム]

ベトナムのリゾートは良い。アジアのリゾートと言うとインドネシアとかタイのイメージが強かったので、最初はどうなのだろうか、と思っていたが非常に良かった。冷静に考えればベトナムのリゾートとは言え、ほとんどの場合、欧米などの先進国が開発する訳だから洗練するのは当たり前だ。ある意味で、先進国がアジアの発展途上国から搾取する構図と言えなくもないが、観光開発は即効性の高い経済発展手段だから発展途上のアジアの国々にとっても利害が一致する。観光地として整備され観光客がやってくれば現地にお金を落とすだけでなく、雇用も創出される。同時にインフラを整備する大義名分も立つので、一石二鳥の効果が期待できるのだろう。リゾートに行く時などいつもそうだが、空調が効いた快適な車の中から道路工事をしている現地の人々を見ると、少しだけ胸が痛む。おいらにも少しは人間らしい心が残っているのかもしれない。

ベトナムのリゾートに行った時、空港からリゾートホテルまで送迎を頼んでおいた。迎えに来てもらったのは、大きくて綺麗な日本車のバンだった。そのバンには同じホテルに宿泊するオランダ人の一家が乗り合わせてきた。バンの中はエアコンが効いていて、外の蒸し暑さとは対照的だった。運転手がくれた冷えたミネラルウオーターも美味かった。車が走り出し、周囲を見回していると、道路は新しく作られたばかりのようだった。車がほとんど走ってないし、歩道にも人がいない。そして、なんと、道路のセンターラインが真っ直ぐにひかれいないではないか。線が左右にブレている上に掠れて、明らかに手で引いただろう、という感じになっていた。日本では見られないものを見てしまった。しばらく走ると峠道に入ったが、まだ道路工事が行われている真っ最中だった。外は軽く30℃を超えているので、暑いだろうなーと思って見ていると、峠の山肌の少し高いところに黄色いヘルメットを被って何かやっている人がいた。その人は山肌の岩の出っ張りの上にちょこんと乗って腰を落としている。そして、岩の出っ張りの下側をノミとトンカチで削っていた。きっと出っ張った岩を取り除くのであろうことはすぐに分かったが、あのまま削っていったら、あの作業者は岩ごと落っこちちゃうんじゃないか。。。エッ、と驚いて見つめていたら、私の前に座っていたオランダ人家族の子供もそれを見ていて私と同じように驚いているのがわかった。その子が私の顔を見て、私が同じものに驚いていたことを理解し、笑い出した。私も壺に入ってしまい笑いが止まらなくなってしまった。あれは悠久の国インドが似合うんだけどなー。何だか不思議なものを見てしまい、ホテルに到着するまで、ずっと二人でクスクス笑っていた。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

Star [マカオ]

ニューヨークによく行っていた頃、気に入っていたホテルがあった。機会があると時々泊まっていた。しかし、とてつもなく高いホテルなので”いつも”という訳にはいかなかった。そのホテルには親切な年配の中国系の女性がいた。ホテルでのニックネームは”Star”。Starは、私の顔を覚えていてくれて、なにくれとなく気を配ってくれた。美味しい日本食はここで食べられるとか、中華料理だったらここの餃子が安くて美味しいとか、タクシーは呼んだのか、地下鉄とバスならここで乗り換えればいい、何か帰る途中で困ったらここに電話しなさいとニューヨークの地下鉄路線図”The Map”に自分の直通電話の番号を書いて渡してくれたりと、とても親切にしてくれた(まー、確かに高いお金を払ってクラブスィートに一人で泊まってたからなー)。月日は流れ、、、3年前にマカオに行った。ホテルは奮発してちょっと高いホテルにした。二泊三日だし、多少贅沢してもいいだろうと思って決めた。それと、世界中にあるそのホテルがマカオでのグランドオープン前だったためプロモーションでとても安く泊まれることも理由だった。チェックインして最上階のラウンジに行ってお茶を飲んでいると、日本人の男性スタッフが挨拶に来てくれた。吉田さんという方で、いかにもホテルマンという感じの人だった。元は別系列の日本のホテルで働いていたのだが、海外で、しかもホテルのオープニングから働きたいという希望があって、このホテルに転職したそうである。不便が無いようにといろいろと取り計らってくれた。「私はこれで失礼させていただきますが、もう一人、日本人スタッフがおりますので後でご挨拶に伺わせます」と言って私のテーブルを離れた。しばらくすると、日本人の女性が私のところに挨拶に来てくれた。その方は山田さんと言う方で、吉田さん同様、オープニングスタッフとして働けるなら、ということで転職して来たらしい。ホテル業界ではオープニングという言葉が”やりがい”とか”キャリアアップ”と同義語らしい。山田さんと話をしていると、転職前はニューヨークのホテルで働いていたと教えてくれた。場所はバッテリーパークの公園の近くのホテルだと言う。バッテリーパークの公園の近くにあるそれなりのホテルだと2つくらいしかない。私が時々泊まったお気に入りホテルの名を出すと、そのホテルだと言う。私に親切にしてくれた中国系のStarの話をすると、「えーっ、私はStarのことを良く知っていますよ。でも、Starは中国系ではなくフィリピン人なんですよ」と教えてくれた。私は急に懐かしさが込み上げてくるのと同時に、その奇遇さに驚いた。彼女も驚いて、「Starはお客様はもとより、スタッフにもとても親切でした」と言っていた。なんだか、とても不思議な気がしたものだ。まったく違う状況の中、しかも異国の地で、同じ人とホテルを介して同じ時間と空間を共有していた可能性があるなんて。。。これも、旅の面白さだ。旅の目的は若くて綺麗な女性だけではないのである。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

カスタードプリン [ベトナム]

ドーナツとカスタードプリンが好きだ。子供のころからずっと好きだ。ドーナツはいろいろ好きなやつがあるが、結局は子供の時によく食べた普通の”不二家のドーナツ”みたいなのが好き。記憶では微かなレモンの風味がしたような。。。カスタードプリンはなんでも大好き。プリンの理想も子供の頃よく食べた”不二家”のプリンだ。反面、プッチンプリンのようなケミカルプリンは大嫌い。ケミカルプリンはまったくの別物だと思う。東南アジアにもカスタードプリンはある。ほとんど、どの国にもあるのではないだろうか。特にフランスやポルトガルやスペインなどのヨーロッパに統治されていた国のカスタードプリンは美味しい。純正カスタードプリンにその国特有の材料や製法がミックスされて今に至るのである。本でベトナムのカスタードプリンの写真を見た時、とても美味しそうに思えた。それから、まだ見ぬベトナムのカスタードプリンに想いを馳せていた。

初めてベトナムを訪れた時、まず最初に喰ったのはフォーとカスタードプリンだった。フォーのチェーン店で喰ったカスタードプリンの美味さには狂喜した。期待していた通りの美味さだった。ベトナムではバイン・フランと呼ばれるそのカスタードプリンは、高級感こそ無いものの、少し固めで、かすかな卵の風味と激甘が良くマッチした、まさに”Theカスタードプリン”。その後も、道端でプラスチックのカップに入っている小さなカスタードプリンを買って四六時中喰っていた。マレーシアには、それこそ”カスタード”とい名前のカスタードプリンがある。バイン・フランより甘く、とても美味い。フィリピンのレチェ・フランも美味い。ベトナムのバイン・フランは卵の風味がしっかりしているが、フィリピンのレチェ・フランはミルクの風味が強く、マレーシアのカスタードよりさらに甘い。甘党の私にはこたえられない味である。ラオスとカンボジアは、かぼちゃプリンが有名。かぼちゃの中身をくり抜いて、プリンをかぼちゃの中に入れて蒸したもの。素朴なパンプキンプリンである。特にラオスは街中のカフェなどで美味しいカスタードプリンが食べられるし、コンビニでも普通に買える。ミャンマーでは葉っぱの上に乗っかったカスタードプリンを食べたが、バニラビーンズ風味の洗練された味だった。日本のプリンよりも、ヨーロッパ風の本格的なプリンに近い味には衝撃を受けた。タイにも、かぼちゃプリンはあるし、マンゴープリンが有名だけど、マンゴープリンはカスタードプリンの仲間とは認め難い。しかし、イモ(?)を使ったカノムモーケンというプリンはカスタードプリンの仲間に入れてやろうと思う。ネッとりしていて、さほど甘くないカスタードプリンだ。

このように、私は旅先でドーナツとプリン、そして若くて綺麗な女性さえあれば他に何もいらないのである。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旅に出たい [旅]

旅に出たくてしかたがないけれど、旅に出られない時もあったりする。これほど悶々とすることはない。そんな時はどうするかと言うと、カラー写真がたくさんあるリゾートやホテルのことが書かれている本を読む。本を読んで旅に行った気にさせて自分をごまかそうとするが、逆効果でさらに旅に出たくなってしまう。ひと昔前の中坊が”ビニ本”でオナニーしてるようなものだ。とは言っても、やはり旅に出られないので、テレビでNHKの”世界ふれあい街歩き”や”アジアで花咲け! なでしこたち”を見て次に行くかもしれない場所に妄想を膨らませていると、いてもたってもいられなくなる。世界ふれあい街歩きのナレーションは牧瀬里穂と原田知世が良い。アジアで花咲け! なでしこたちは、ひうらさとるよりヤマザキマリの方が良かった。そして、土曜日の深夜に”妄想ニホン料理”を見て、番組終了とともに飛行機の予約を入れてしまうことが多い。まるで、ギルガメシュナイトを見ながらオナニーしていたひと昔前の中坊のようだ。恐らく私のクレジットカードの明細から、週末に航空会社、ホテル、航空券検索サイトやホテル検索サイトからの請求が多いことがバレてしまう。こんな人は意外と多いのかもしれない。データマイニングしたり、ビッグデータを活用しなくても感覚的にわかってしまうおいらは凄いのだー。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

オレンジ・ハイ [アメリカ]

アメリカ同時多発テロの翌年、ニューヨークに行った。日本にいる時からテロ警戒水準が高いレベルになっていて、成田を出発する前には”オレンジ”になっていた。ちなみに、この警戒レベルは低い方から緑(低い)→青(慎重を期する)→黄色(高まっている)→オレンジ(高い)→赤(重大)の5段階。オレンジは高い方から二番目で、イベントの開催延期・中止を検討、危険と見られる施設への立入制限などの措置が取られるというレベル。そんなこと言われても航空券もホテルも予約しちゃったし休みも取っちゃったから断念すると言う選択肢はなかった。定刻から少し遅れて全日空NH010便はニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に向けて飛立った。飛んでしまったらテロもクソもない。機内食を食べ、映画を見て、寝て、、、とだんだんやることが無くなってきた。あまりにも暇なのでギャレイの横にある扉の窓から外を眺めていた。私は、高度33,000フィートの上空から見る景色が好だ。夜、真っ暗な闇にほんの少しだけ明かりが見えたり、氷や雪に覆われた大地の中に小さく人間の営みが見えると、どんなところでも人間は生活してるのねー、と時間を忘れて見入ってしまう。すると、「何か見えますか?」と女性の声。振り向くとCAさんではないか。しかも、若くて綺麗なCAさんである。「人間の営みが~」と言うとCAさんは笑っていた。そのCAさんとしばらくお喋りをしていた。若くて綺麗なCAさんは、CAになって3年目、ずっと国内線乗務で最近国際線乗務になってとても嬉しい、国際線乗務は憧れだった、、、と目を輝かせながら話してくれた。私は、定期的にニューヨークに行けるなんていいですね、とか、二泊四日はきつくないですか、とか、ニューヨークで安くて美味しいところを教えてくださいとか、、、ありきたりの質問をしていた。興味があったので”社員優待”みたいなので安く飛行機に乗れたりしないのか聞いてみたら「あるにはありますけど、HISの方が安いくらいですよ」と言って笑っていた。CAさんは何度か”ちょっと、失礼します”と言って仕事に戻るが、終わると戻って来て話をした。”おっ、これはいい感じではないか”と勝手な妄想も膨らむ。なんだかんだで結構お喋りをしていた。時計を見て計算すると、成田を飛び立って既に12時間が経過している。CAさんとの幸せなおしゃべりも終わりか、、、と思って窓の外を見ると、飛行機の下の方から小さくて光る物体が2つ見えた。その物体は動いていて、すぐに見えなくなった。よーく、見ていると、また光る物体が見えるではないか。UFOだと思い、そのCAさんに「あれ、何ですかね。UFOだたりして」と聞いてみた。CAさんが窓から私が指差す方向をしばらく見ていると、「あっ、あっ、あっ、本当ですね」と色っぽい声で言った。そのうち、銀色に光る物体が飛行機に向かって飛んで来るではないか。CAさんが顔色を変えて「機長に確認してきます」と言ってその場を離れた。暫くすると、機長からのアナウンスで、ニューヨーク上空でたくさんの飛行機が着陸を待っていて、私達が乗っている飛行機も着陸の順番待ちだと言っていた。「燃料は十分あるので心配ありません」と言うのがとても心配だ。最後に「ニューヨークのテロ警戒水準がオレンジからオレンジ・ハイに引き上げられました」と止めを刺すようなアナウンスだった。いまさら言われても。すると、さっきのCAさんが戻って来て「他のお客様には内緒にしてくださいね。あの銀色の光る物体はアメリカ空軍の戦闘機だそうです」という衝撃の告白。・・・もっと、違う告白だったら嬉しかったのに。そう言えば、この間テレビで、ニューヨークとかワシントン上空で管制や空軍の指示に従わないと撃墜される、って言ってたぞ。おいおいおいおい、機長、ちゃんと管制塔の指示に従って飛んでくれよ。怪しい動きとかしちゃダメだぞ。別に死ぬのが怖い訳ではないが、死にたくないよーというネガティブな思いと、どさくさに紛れてこのCAさんに、生きてニューヨークに着いたらデートしてくださいとか誘ってみようかな、というポジティブな思いが鋭く交錯していた。しかし、着陸許可が降りたので席に戻ってシートベルトをしなさいと機長のアナウンスがあった。ちょっとだけ安心したが、せっかく仲良くなったCAさんとお別れするのが寂しかった、
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

バブルアゲイン [シンガポール]

”シンガポール”という国名を初めて意識したのは、かれこれ30年ほど前。社会人になりたての頃。世の中バブル真っ盛り。その頃の同僚の一人は、やれ先週はグアム、やれ今週はサイパンだと毎週のように海外旅行に行っていた。なんとも恐ろしい時代だった。そいつが「来週、シンガポールに行くんだ」と私に教えてくれた。私はそのころ海外旅行には、さほど興味がなかったこともあり、シンガポールがどこにあるかさえ知らなかった。シンガポールはどこにあるんじゃやいと聞くと「東南アジア」だと言う。”とーなんあじあ”、それは当時の私にとって一つの事のみを意味していた。「東南アジア=エッチ」。東南アジアと言えば、ベトナム戦争くらいしか知らない。それも、ずいぶん前のこと。はっきり言って東南アジアのことは良く知らないのである。ただ、インターネットのない当時、私には東南アジアはエッチな場所というイメージしかなかった。それ以上でもなく、それ以下でもないエッチなところ。何がエッチなのかと聞かれてもよくわからなかった。そいつに「おまえ、イヤらしいなー」というと、そんなことは無いと真顔で否定していたが、うんうん、わかったわかった、皆まで言うな、大丈夫だ、おいらは口が堅いぞと相手の反論を一方的に遮って、女性社員にあいつはエッチな海外旅行に行くらしいですよ、と言いふらしていたのだった。あれから15年、私は初めてシンガポールの地に降り立った。別にシンガポールにエッチな事をしに来たわけではない。その年、私は全日空の上級会員になるために修行僧の真似ごとをしていて、1年間で5万マイルのフライトマイル取得を自らに課していた。1年間で5万マイルのフライトマイルというのは意外と大変なのだ。ブッキングクラスにもよるがエコノミークラスの航空会社正規割引チケットで1年間に東京⇔ニューヨークを8往復しても足りない。そこで、その間隙を埋めるために週末になると日本国内はもとより、身近な海外に飛んでフライトマイルを稼いでいた。その時、身近な海外としてユナイテッド航空で行く二泊三日シンガポールの旅に白羽の矢が立った。成田を夜に出発し、深夜のシンガポールに到着した。空港ターミナルは静かで綺麗だった。しかし、一歩空港の外に出ると非常に暑い上に雨が降っているので湿度が異常に高い。もはや息が苦しいほど。タクシーでホテルにたどり着くとホテルのロビーに天気や温度を示すデジタルのサインボードがあった。天気は雨、ふむふむ。温度は摂氏35°C、華氏95°F、それは暑い訳だ。そして、温度の下に100という数字がある。しかも数字の右側に%があるではないか。ホテルのスタッフに念のため聞いてみると、やはり100は湿度の事だった。壊れているのかと聞いてみたが今日の湿度は100%だと得意げ。室内は空調が効いているから100%というのは大袈裟だろうと言うと外の湿度だと言う。100%の湿度って水の中を歩いているのと同じじゃん。そりゃー、息苦しい訳だ。なんでも、シンガポールでは雨季には湿度が100%になるのは珍しくはないのだとか。。。それ以来、シンガポールのエッチなイメージは完全に払拭された。シンガポールさんゴメンなさい。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

タンブン [タイ]

タイにいると”タンブン”という言葉をよく耳にする。日本語で言うと”徳を積む”のような意味。英語だとstrive after virtueか。托鉢している僧侶に食事などを施したり、恵まれない人や殺されかけている生き物を助けることをタンブンと言う。仏教で「善いことをすれば善い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがある」ということである。BTSの駅の下で制服を着た大学生?の女の子たちが踊っていた。踊っていると言っても派手にスカートをめくり上げるような踊りではなく、地味に”マイムマイム”のような踊りを踊っている。女子学生が踊っているのを放っておく手はないと、周囲を掻き分けて最前列で見ていると、別の女子学生が「タンブン」と言って私に箱を差し出した。「ん?新聞?」と微かに首を振り、目で”いらない”を言ったのだが、その女子学生は箱を指さして「タンブン」と言う。短歌のよう詩を書いて箱の上にあるスリットに入れるのか。本気で日本語の”短文”を書かなければいけないのかと思い軽く焦った。しかし、周りをよく見ると人々は女子学生たちが持っている箱にお金を入れていた。なーんだ、タンブンって、タイ語の募金のことかとトライリンガルの私は瞬時に理解した。ちなみに、私の母国語は日本語であるが、横浜弁と東京弁をネイティブと言って差し支えないレベルで話す。一応、女子学生の踊りを見た以上、タダでは悪いと思い50バーツを募金箱に入れた。女子学生からは控えめなトーンでお礼を言われた。純真そうな女子学生に控えめなトーンでお礼を言われると、なんだか良いことをしたよな気になる。そして、その数日後、若くて綺麗なタイの女性とナイトマーケットで買い喰いしていると、どこからか「タンブン」「タンブン」という言葉が聞こえてきた。どこだどこだ、と覚えたてのタイ語が聞こえてくる方向を探すと、小さな川に掛る橋の上でカメとかナマズとかを売っているオヤヂがいた。おおっ、先日覚えたタンブンではないか。私は連れの若くて綺麗なタイの女性の手前、そのオヤヂに”タンブン”をして「まー、素敵。ノブレス・オブリージュが自然に身に着いているののね」的なことを言われるのを勝手に期待していた。オヤヂに50バーツを渡して立ち去ろうとしたら、オヤヂがカメをビニール袋に入れて私に差し出すではないか。私が顔の周りを?だらけにしていると若くて綺麗なタイの女性が、あなたはタンブンしたのだからカメを川に逃がしに行きましょう、と言っている。あれっ、タンブンって募金のことじゃないのか。と若くて綺麗なタイの女性に聞いてみたら”タンブン”とは”徳を積む”というような意味で、そのままだと食べられてしまったり殺されてしまう生き物をお金を払って助けてあげて、逃がしてあげることだと教えてくれた。なーんだ、タンブンって浦島太郎のことだったのか。私は若くて綺麗なタイの女性と川に降り、二人並んでカメを川に逃がしてやった。若くて綺麗なタイの女性はとても穏やかな笑顔でカメを見送り、そして私にも同じ笑顔を向けた。うむ、善いことをすれば善い報いがあるわけだ。うしし。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

テキーラサンライズ [フィリピン]

私は酒が飲めない。正確には酒が非常に弱い。両親も酒が弱いから酒が弱い遺伝子を受け継いだのだろう。ただ、酒を飲みに行ったりするのは好きなので、(ほとんどいないが)仲の良い友人とは飲みに行く。海外に行って夜遊びする時などは、さすがに、ジュース、、、というのもかっこ悪いので一応ビールを飲む。フィリピンに行くとサンミゲル、タイではシンハー、ラオスのビア・ラオをよく飲む。しかし、ベトナムとカンボジアのビールがあまり好きではない。ベトナムはビールにガシガシ氷を入れるし、カンボジアで飲んだビールは癖があってあまり好きにはなれなかった。フィリピンで一番ポピュラーなビールはサンミゲル。サンミゲルはありがたいことに欧米や日本のビールに比べて若干ではあるが安め。しかも、アルコール度数の弱いサンミゲルLiteやアルコール度数が激弱で林檎味やレモン味のフレーバービヤなど私向きの品揃えの良さに大助かりである。いつもはたいがい一人旅をする私が友人とフィリピンのAngelesに行って夜の街に繰り出し、女の子を呼んで飲んでいた。フィリピンでは店で酒を飲む場合、法律で女の子を呼ばなくてはいけないことになっている。少なくとも私はそう理解している。法律で規定されているのであれば仕方がない。されていれば、、、だけど。されていなかったかもしれないけど。。。勘違いだったかな。それはあまり重要ではないのでさておき、その日の私は心が解き放たれたように、ご機嫌であった。一緒にいた友人は酒が強いのだが、友人と女の子たちとテキーラをショットグラスでガンガン一気飲みしていた。ガンガンである。男らしい響きだ。私の友人は10杯くらい、女の子たちもかなり飲んでいた。私もすでにガンガン二杯やっつけた。今日は行けそうな感じがする。そして、三杯目を飲み終えたところまでは覚えていたのだ。。。

。。。朦朧とする意識の中で友人の日本語と女の子の英語がぼんやりと聞こえてくる。私の友人が「バカヤロー、日本じゃ水を飲ますんだよ」と日本語で言い、女の子たちは「水を飲ませてはダメだ」と英語で口論していた。日本語と英語の割には噛みあった口論ではないか。意識がかなり戻ってくると、あーやっちまった、倒れたんだと思いながら、少し気分が悪くなってきたので寝たふりをしていた。しかし、一人じゃなくてよかった。私は意識が完全に戻ったが、枕にしていた女の子の太股がひんやりして気持ちが良かったので、そのまま一時間ほど寝ていた。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

コンチネンタルブレクファースト [アメリカ]

12月24日、クリスマスイブの夜にシカゴに着いた。別においらジョン・マクレーンじゃないけど。空港はクリスマスやる気満々。空港から地下鉄で目的地に着くと街中はクリスマス一色。通りのイルミネーションやライトアップされた建物が眩しい。アメリカのクリスマスイブの割に人通りも多い。お腹が空いていたのでお気に入りのBBQレストランCARSON’Sに行ってベイビーバックリブのフルサイズを食べたら、満腹で動けなくなった。うううっ、楽しみにしていたピザが喰えん。仕方なく腹ごなしにホテルまで歩いた。ホテルの近くにはコンビニ、地元系のデリ、ハンバーガーショップやドーナツショップ、さっき喰えなかったピザ屋に怪しい中華料理屋、そして私にとって最も重要なカフェ付きの本屋があり言うことなしの便利なロケーションであった。ホテルにチェックインする時、今日の夜と明日の終日はホテルのレストランは休みだと言われたが、まったく問題ない。なんせ、このあたりは便利な場所なのだ。ホテルの高いレストランなんかでは晩飯は喰わんよ、とは言わなかったけど。翌日、クリスマスだがフィールド自然史博物館はやっていたのでティラノサウルスのスーを見に行った。フィールド自然史博物館でたっぷり一日遊んで、ホテルに戻った。今日こそはピザを食べようと思って、昨日、目を付けておいた近くのピザ屋に行ってみると閉まっていた。一度脳に食べたい物を描いてしまうと、なかなか諦められない往生際の悪さは生まれつきなのだ。ピザ屋を探してブラブラしているとピザ屋を発見、、、したが、ここも閉まっている。そう言えば人通りが少ない、というかまったくない。ようやく、危機的な状況に気が付いた。あたりを見回すと、お店らしきものはまったく開いていない。マンハッタンのクリスマスも閑散としているが、ここまでではなかった。デリは開いていたし、一部のレストランはクリスマス料金でバカ高かったが飯が喰えた。特にチャイナタウンはすべて営業していた。ロサンゼルスもそうだった。ところが、ここシカゴのクリスマスは夜の7時前だというのに人が歩いていない。車の通りも異常なほどに少ない。薄々わかっちゃいたんだが、ここまでとは。。。慌てて、食料の確保に動いたが後の祭り。レストランはもとより、マクドナルド、地元系のデリ、セブンイレブン、ダンキンドーナツはことごとく閉店。しかたなく、ブルーミングデールズやメイシーズなどのデパートにも行ってみたが既に閉まっていた。しまったなー。「アメリカのクリスマスはみんな家族と過ごすから日本みたいにレストランが混むことはないよ」とか偉そうに話していたことが恥ずかしい。しばらく、歩きまわったが、あまりの寒さに歩くのが辛くなり、タクシーを探す。が、しかし、今度はタクシーが捕まらない。ようやくタクシーを捕まえて運転手に聞いても食物が手に入る場所は見つからなかった。シカゴの鉄道の駅にも行ってみたが全滅。空港に行けば、とも考えたがさすがにそこまでするのも面倒だったのでホテルに戻った。ホテルでこのあたりに食物が手に入る場所を知らないか聞いてみたが、瞬時に「No」の答え。結局、この日は晩飯を喰わず、ミニバーにあったナッツをお摘みにビールを飲んで、ふて寝した。お腹が空いてなかなか寝付けなかった。翌朝はお腹が空いて目が覚めた。ホテルのロビーに降りると昨晩とは打って変わって人の気配が濃厚である。朝食を食べにホテルの外に出たが、通りはいつもの賑やかさが戻っていた。なんだか、夢を見ているようで不思議な気分だった。いかんいかん、腹が減って幻覚が出ているに違いない。ホテルの横にあるカフェに入った。この朝ばかりは、いつもなら「こんなにボリュームが無くても」と文句を言いながら喰っているコンチネンタルをありがたく平らげた。コンチネンタルブレクファーストが物凄いボリュームなった背景には、きっとこんな物語があったに違いない。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

なす事もなくて那須野にすむ我は [旅]

「海外旅行によく行くけど、いったい海外に行って何してんの?」とよく聞かれる。実際、海外に行ったからといって何か変わったことをしているかというと、そんなことはない。私はいわゆる”観光”はしない。バンコクに20回以上行っているが、ワット・ポーにある有名な涅槃像を見たことがなかった。友人とバンコクに行った時、その友人に涅槃像を見たいと言われて気が付いた。マニラのイントラムロスにはよく行くのだがイントラムロスにある世界遺産のサン・アグスチン教会に行ったことがない。徒歩10分以内のホテルに泊まっているというのに、、、だ。マカオのセナド広場には何度も行ったのだが、初めて聖ポール天主堂跡を見た時はマカオに初めて行ってから20年の月日が過ぎていた。タイのカオラックにあるリゾートには宿泊費が激安になるオフシーズンを狙って行くので海で泳いだことがないし、バリ島のクタのビーチでボディーボードをしようと思ったが波の高さに恐れをなして断念し続けている。ラオスで仲良くなったオランダ人の若くて可愛い女性に「プーシー(丘)に登って、ルアンプラバーンの街やメコンに沈む美しい夕陽を見にない?」と誘われて、医者に激しい運動を避けるように厳しく言われている、と言って断った。プーシーは標高が200mくらいのただの丘である。私くらいの旅人になると、もはやガッついて観光などしないのである。海外に行き何をするでもなく自然体で過ごすのである。そして、美味しいものをたらふく食べてお腹をこわすのが関の山である。

なす事もなくて那須野にすむ我は茄子唐なすを喰うて屁をこく(乃木希典)
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

トラブル [アメリカ]

2003年の夏、二週間近いの夏休みを取ってアメリカの東海岸に行った。夏休みが終わって会社に出社したら席が無いんじゃないかと心配しながら。。。行先はニューヨークとボストン。前半の一週間はニューヨーク、後半の一週間はボストンといった配分だった。ニューヨークでの一週間が過ぎてボストンに移動する日、朝早く起きてミッドタウンの東側の3rdアベニューにあるベーグルショップまで歩いて行って朝飯を喰い、腹ごなしにセントラルパークまで散歩してホテルに戻った。なんだか、ニューヨークのおいらは格好いい。ホテルをチェックアウトして、ペンステーションに向かい、ボストン行きの電車のチケットを買った。電車が到着するまで少し時間があったのでドーナツを6個買って地べたに座って2個食べた。そうこうしている間に私が乗る電車が来たのでホームに降りて電車に乗った。私のチケットはCoach Class(自由席)だったが座席はガラガラ。走り出してからドーナツをさらに2個食べた。電車は4時間ほどでボストンに到着。地下鉄に乗り換えてホテルの最寄駅から歩いてホテルに向かった。ホテルに入ってチェックインしようとしたのだが、なんだか異様な雰囲気。10人ぐらいの客と20人ぐらいのホテルの従業員が一か所に集まって口論している。嫌だなーと思いながら、チェックインしたいと言ったが、誰も私のことをかまってくれない。ホテルを予約した時の書類をバタバタさせながら、「チェックイーン」と大声で叫んだ。ホテルの従業員が一人来て。「お客さん、どこから来たのですか」と聞くので、パスポートを出して「ニッポン」と答えると、「どうもニューヨークでテロがあったらしい」と教えてくれた。「えっ、おいら今、ニューヨークから来たばっかり」と言うと、口論していた客と従業員がみんな私のところに集まって来て、てんでバラバラに私に話しかけてくる。英語が堪能な訳ではないのに、30人のアメリカ人に取り囲まれ、吊るし上げを喰らったかのように、まくしたてられると、何を言っているのか全然わからない。どうやら、私がニューヨークを出た時の状況を聞きたいようだったので、私がニューヨークを出たのは午前11時過ぎで、電車でこっちに来たが特に変わったことは無かったと話してあげた。彼らのうちの何人かがニューヨークに住んでいる家族と連絡が取れなくなったらしい。その他の人々もニューヨークの知り合いに電話をしてみたが繋がらならいと言う。みんなとても不安そうだったが、私は「しめた!テロという大義名分があれば、あと一週間会社休めるぞ」ということだった。あわよくば、こっちに永住しちゃえ、とかお気楽なことを考えていた。しかし、しばらくすると、テレビでニューヨークを含む北米大陸の北東部と中西部で大停電があったことがわかった。しかも、えらく大きな停電だったのだ。結局翌日まで停電が続いていたようだった。ボストンは奇跡的に難を逃れていて、特に電力供給が止まったり、交通網に影響が出たり、デマで混乱したりと言うことはなかった。私はホテルにチェックインした後、ドーナツを買いに出かけ、ホテルの部屋に籠ったまま、ずっとテレビで停電のニュースを見ていた。真夏の停電ということもあり、マンハッタンはとんでもないことになっていた。地下鉄、鉄道、バス、飛行機などの公共交通機関がすべてストップ。テレビでは、家に帰れない人や観光客がタイムズスクエアや路上で一夜を明かす映像を映していた。しかし、停電発生から2日もすると、いつものニューヨークに戻っているようだった。ボストンに5日ほど滞在したが、ボストンで何をしていたかあまり記憶がない代わりに、ニューヨークの状況は良く知っていた。日本に帰る日は、ニューヨークに戻ったが何事もなかったかのようであった。私は、無事に、そして不本意ながら予定通り日本に帰ることができた。休み明け、恐る恐る出社すると自分の席はあった。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ExpediaのApril Fool [旅]

April Foolか。。。考えもしなかった。騙されてよかった。

【前代未聞のサービスとは!?】エクスペディアで本日からスタート!
AprilFool_00.jpg

AprilFool_01.jpg

AprilFool_02.jpg

AprilFool_03.jpg

AprilFool_04.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

需要と供給 [フィリピン]

フィリピンは良いところである。物価が安く、一般的には人々は優しく人懐っこい。しかし、治安が悪い、と人は言う。確かに日本に比べると格段に悪い。他の東南アジアの国々に比べてもかなり悪い。しかし、日本だって治安の悪い場所はいくらでもあるのだ。治安の悪い場所に行かないとか、治安が悪い場所に行っても気をつけるとか、いくらでも対処方法はあるのだ。要は自分しだい。私は基本的には治安の良い場所しか行かない。安全な行動を心がけるのはツーリストとしてのイ・ロ・ハのイなのである。フィリピンで治安の良い場所としてすぐに思い浮かぶのは、マニラのマカティ、セブ島やボラカイ、そしてスービックとクラーク。マカティは最近整備された外国人や裕福なフィリピン人向けのお洒落な街。セブはフィリピンでも有名なリゾート地。ボラカイも最近開発されたビーチリゾートで世界中から人がやってくる。スービックとクラークは以前は米軍の基地があった場所。しかし、ボラカイを除けば風俗産業と密接に結びついている。マカティには高級なカラオケやクラブだけでなくゴーゴーバー街がある。スービックとクラークには由緒正しいゴーゴーバー街がある。ゴーゴーバーとは詳しく説明するとゴーゴーバーなのである。セブ島だって負けちゃいないぞ、ビキニバーがたくさんある。ビキニバーを詳しく説明するとビキニバーなのである。これらの風俗の生い立ちは、最初はアメリカとフィリピンの友好関係、および、アメリカさんの需要があるから私らフィリピン人がサービスを供給すっか、という需給関係により成立した。その後フィリピンの主要産業として独自の進化を遂げ、その進化の過程で日本の高度成長やバブル経済、韓国の台頭、中国の経済成長などが影響を及ぼしたと考えられる。すなわち、持ち慣れぬ大金を持ってしまった貧乏人が”研修旅行”などと称してフィリピンに押し寄せ、現地にカネをバラ撒いたことで洗練の度合いを深めた。このように書くと、私がフィリピンの風俗にハマっていると勘違されかねないが、そうではない。私はGOGOバーやBikiniバーなんぞに一度として行ったことはない。私が行くのはゴーゴーバーやビキニバーなのである。しかし、私がゴーゴーバーやビキニバーに行ったところで、リンゴジュースやレモンジュースを飲みながら若くて綺麗な女の子と話をするだけである。なんら疾しいところは無いのである。何が言いたかったんだっけ。そうそう、だから、フィリピンは良いところなのである。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

進化論 [飛行機]

日本国内の航空会社で運行されていた最後のB747が退役した。たしかに、B747は良く乗っているし、これからも乗ることになるだろう。B747は好きだ。B747であると識別しやすいから、他の飛行機に比べて愛着もある。初めての海外旅行でハワイに行った時は何だったかは記憶にないがB747だったに違いない。次の海外旅行は香港だったが、こちらも記憶にないがB747であったはずだ。それくらい私にとってはB747は切っても切れない存在であった。

しかし、何故、最近の人々は消えゆく物(者)に異常な執着を示すのであろうか。牛丼の販売が中止になると言えば、得意げな顔で「牛丼は文化だ」とか訳のわからんことを言いながら牛丼屋に集まってくる。ブルートレインが無くなると聞けば、スマホでパシャパシャ写真を撮って「いやー、私の青春だったから無くなると寂しいですねー」とかシラーっとほざいている。はたまた、「東京の老舗ゲームセンターの歴史に幕」とか訳のわからん物にまで別れを惜しむ始末。牛丼は別にしても、大概の物は、より良い新しいものが現われて、人々が古いものを必要としなくなり、利用者激減、、、といった負のスパイラルに陥って消えていくのである。消えていくというより、立派な世代交代、淘汰なのである。これがなければ進化は無くなってしまうのである。惜しむのも、消し去るのも人間の仕業なのである。しかし、牛丼はただの馬鹿だけど。。。B747もご多分にもれず、設計が古く、最新の飛行機に比べて、燃費の面だけでなく機内の居住性や乗り心地もよくはないから退役するのだ。すべて理由があるのだ。なんだか、別れを惜しむ”フリ”をしないと冷たい人、悪い人になってしまうようで気持ちが悪い。私が別れを惜しむのは、若くて綺麗な女性に対してだけである。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。